ご挨拶(序にかえて)


1955年(昭和40年)4月から 3年間、日本専売公社(現在の日本たばこ産業K.K.)の初代駐在事務所長としてギリシャ(当時は王国)のアテネに居住していた時に、市内の書店でこの本を買い求めたことがギリシャ彫刻との運命の出逢いとなりました。仕事の他にも何だかだと雑用に追われながら辞書を片手に読み進み、アテネの国立美術館やアクロポリス美術館などには気が向けばいっでも出掛けることの出来た好環境が幸いして彫刻品を飽きることなく眺めている間に、この書を翻訳してもっと多くの方々にギリシャ彫刻に親しんで貰いたいという願いが何時の間にか私のライフ・ウァークのようなものになってしまいました。それから25年以上が経過しました。その間も時々は暇を見付けては翻訳が少しづつ進行していましたが、偶々病を得て経営の第一線からリタイヤした1990年になってやっと宿願がかない、腰をすえて翻訳にとり掛かるチャンスが巡って来ました。

ギリシャ彫刻については、私がとり立ててその素晴らしさをご披露するまでのこともありますまい。素朴で線の美しさが強調されるジオメトリック期の作品に始まり、アーケイック期、シビア・スタイル期を経て、アクロポリスの丘の上に聳え立つ、あのパルテノン神殿の破風やメトーペにある彫刻品や浮き彫りに代表される美の極致とも言うべきクラシカル期に到り、更にはルーブル美術館のあのミロのヴィーナス像に代表される幾分誇張された美を含んだヘレニスティック期までの間の凡そ700年間と言えば、他民族が未だ極めて幼稚な線画などに止まっていた今から2000年以上も以前に当たるという事実もさることながら、作り出された一つ一つの作品の持つユニークな特徴と素晴らしい完成美とが私たちの心を捉らえて放さないのです。若しアテネ・ロンドン・ベルリン・パリなどにある美術館を訪れて、本書を携えその解説を読みながらこの書に掲載された282枚の図版の作品の幾つかを観賞される機会があれば、あなたの受けられる印象はきっと更に一段と大きいものがあることでしよう。

この訳書を一般刊行書として出版するに当たっては、私の生涯を通じて最も敬愛する先輩である高村健一郎氏(元日本専売公社総務理事、現東京たばこサービス(株)最高顧問)を始め大ぜいの方々に大へんご厄介をおかけ致しました。財団法人東大出版会顧問の石井和夫氏にはロンドンの原版社との交渉を始めとして出版に到るすべての過程で一方ならぬご尽力を賜わり、有難うございました。不治の病との闘病で入院が長引いていて動きがとれず、自分自身では何一つしないまま、大ぜいの方々のご厚意におすがりすることとなりました。只今このご挨拶を記している時点でも、この訳書が刊行されて私の宿願がやっと実現する日まで生き延びることが出来るかどうかについては、まったく自信が持てません。いつの日にかきちっとした印刷物にして多くの方々にギリシャ彫刻品を勧賞する喜びを供にしていただきたいと長年に亘って願っておりましたが、おかげさまでこのように立派な形で出版することが出来て生涯の希望がかなえられ、こんなに嬉しいことはありません。何度も推敲を重ねて訳文くさくならないよう文章を修正したっもりですし、図書館に通いつめて訳注を付けるのも、思いもかけず大へんな作業でした。文章の校正を進めてもっとこなれたものにしたかったし、訳注も索引ももっと完全なものにしたいと願っていましたが、思いもかけず病状の進行が急速でその時間が私に残されていなかったのは、誠に残念なことでした。それにも拘わらずとても完成とは言えないまでも80-90%位はうまく出来たと満足しています。
皆様方がギリシャ彫刻に心を奪われその愛好者の一人となっていただくのに、この本が些かでもお役に立てたとすれば私にとってこんな嬉しいことはありません。健康に気を付けて1年でも長生きされ、今年の夏も暇を作ってギリシャに旅行しアクロポリスの丘の上の大理石に腰掛けて、青空の下に奪え立つパルテノン神殿を眺めて来て下さい。

永井幸一    

                                    

  さようなら


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