訳 注

 P33(-p64)
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(本文訳注 001) アッテイカ地方 Attica
( page 27 図 01 参照)
ギリシャ東南部アテネを中心とする地方で、山勝ちの半島であり、オリ-ブの産地である。古代都市国家アテナイの領域で、イオニア人 Ionians が住み、ドリス人の侵入を蒙らず、歴史時代には 最初からアテネが全アッテイカを支配していた。北はパルネス山脈 Parnes で ボイオテイア地方と境し、西はメガラ地方に続く三角形をなし、面積は凡そ 2650 平方 km である。

(本文訳注 002) ホメロス Homer
古代ギリシャの二大叙事詩<イリアド>と<オデユッセイ Odyssey>の作者と言われる半伝説的な大詩人で、盲目との伝説もある。その作品は ギリシャ神話と伝説とを集大成した最初のギリシャ文学であり、又最大の傑作である。ギリシャ時代を通じて最も広く学ばれ、又ギリシャ人の擬人的神観と人間観との形成に貢献し、聖書と並んで 更にヨ-ロッパ文学の大源流となった。詩の舞台は ミュケナイ時代で、作者が時代の粉飾を加えている。古代において既に伝説的な人物となっているが、現在では B.C.9 世紀がその活動年代であって、生まれたのは小アジアのスミュルナ Smyrna であると推定されている。

(本文訳注 003) プラトン Plato
B.C.427 ? - 347 年。古代ギリシャの哲学者で、アテナイ民主派の名門の出身であった。政治家志望であったが、当時のアテネの悪政 特に B.C. 399 年のソクラテスの刑死に直面して政治に絶望し、ソクラテスの哲学の道を受け継いだ。 40 才の時、学校と研究所を兼ねたアカデミア Academy を創設し、生涯を真理の探求と子弟の教育とに捧げた。著作は 30 編以上で、殆どがソクラテスを主人公とした対話編で、ギリシャ語散文の一大頂点と言われる。イデア論 idea がその学説の中核で、イデアとは 現実の不完全なものを超えて存在する最善最美の真実の存在であり、個人や国家が善い生活をするためには知らなければならないものであった。このイデアの認識へ人間を向かわせる力がエロス eros であり、認識への方法が問答法であった。彼の哲学は 今日に到るまでヨ-ロッパの哲学思想を大きく貫き、弟子のアリストテレスと共に 哲学の歴史に大きな影響を及ぼしている。主著は、師ソクラテスの精神を伝えた <ソクラテスの弁明 Apologia Sokratous>や<クリトン Kriton>、哲人国家の理想を説く<国家>、他に<フアイドン Phaidon>、<饗宴 Symposion>、更に絶筆の大著<法律>などがある。

(本文訳注 004) ルネッサンス Renaissance
<再生>を意味する語で、14 - 16 世紀のヨ-ロッパに展開された 古代ギリシャ・ロ-マ文化を再現し、暗黒の中世に失われた人間性を復活させようとした思潮・運動をいう。文芸復興又は学芸復興と呼ばれる。

(本文訳注 005) ウインケルマン Johann Joachim Winckelmann
1717 - 1768 年。ドイツの美術史学者。主著は<古代美術史>( 64 年)で、ギリシャ美術の様式を 4 時代に分けて 発展的に捉え、作者伝の羅列に過ぎなかった従来の美術史を 様式の変化として初めて捉えた。古代遺品の研究に没頭し、美術考古学の基礎を築いて、美術史を初めて学問にまで高めたその功績は 大きい。

(本文訳注 006) リルケ Rainer Maria Rilke
1875 - 1926 年。チエコの詩人で、<マルテの手記 Die Aufzeichnungen des Marte Laurids Brigge><ドウイノの悲歌 Duineser Elegien>など、繊細で洗練された叙事詩が多い。ドイツ帝国主義の発展期にあって、その表面的安定の中に社会の内的危機を予感する人間の、自己の凡ゆる人間的発展の可能性に不安を懐いた世界喪失の嘆きを表現している。ロダン Rodin の秘書となってからその詩は、客観的彫刻性を持ち始めた。

(本文訳注 007) 小アジア地方 Asia Minor
アナトリア Anatolia とも呼ばれる。アジアの西部に突出し バルカン半島と相対する半島で、黒海、エ-ゲ海、地中海及びマルマラ海に囲まれ、古代からアジアとヨ-ロッパとの接触地であった。現在のトルコの大部分を占め、面積は 凡そ 525千平方 km である。この地は 小アジア人と呼ばれる原住民の諸族が割拠占住し、B.C. 20 世紀末頃 印欧語族のヒッタイト Hittite 古王国が成立して 各地を征した。この王国は  B.C.1200 年頃トラキア人の侵入を受けて滅び、その後 フリギア王国 Phrygia、リュデイア王国、ペルシャ王国、セレウコス朝 Seleukos などの支配下に入った。

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