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アクロポリスの丘の南斜面上にある建造物
 
 

(訳注 057) アテ−ナ・パルテノス本尊 Athena Parthenos
B.C.438 年に奉納されたパルテノン本尊のアテ−ナ女神の立像で、フイデイアスが金と象牙を材料として作った傑作であるが、原作は失われ 摸刻しか残っていない。この像の制作が原因で フイデイアスは告訴 投獄され、アテネで歿した。

(訳注 058) アテ−ナ・プロマコス像 Athena Promachos  ( page 37 図 01 - No.53)
<戦士アテ−ナ>の意。フイデイアスの作ったアテ−ナ女神のブロンズの巨像で、プラタエアの戦闘の戦利品によって作られ、アテネのアクロポリスの丘の上の プロピュライア入口門を入った正面に立てられた。

(訳注 059) リヨン Lyon
フランス東部ロ−ヌ川 Rhone とサオン川 Saone との合流点にある都市で ロ−ヌ県の首都である。絹織物の産地で 大学がある。人口は 571 千人。

(訳注 060) コレ− Kore
地女神の若い姿、地少女。アテ−ナ女神はアテネのコレ−である。最も代表的なのはデメテル女神 Demeter の娘で 地下の女王ペルセポネ女神 Persephone と同一視され、普通コレ−と言えば この女神を指すようになった。

(訳注 061) ナクソス島 Naxospage 41 図 04 参照)
ギリシャ南方エ−ゲ海上の キクラデス群島 Cyclades の最大の島である。半透明の大理石が 古くから彫刻に用いられた。カリア人、トラキア人、クレタ人が移住し、アテネ人も植民した。デイオニソス神 Dionysus の信仰の中心で、貨幣も鋳造された。

(訳注 062) キオス島 Chios ( page 41 図 04 参照)
エ−ゲ海東部のギリシャの島で、トルコ西岸に近い。首都キオスは東岸の良港である。古代ギリシャでは奴隷を最も早く使用し、商工業も発達したし、民主制への移行も早かった。B.C.500 年のイオニアの反乱で ミレトス Miletus と共に ペルシャの支配に反抗した。

(訳注 063) ペプロス peplus
主としてドリス人の用いた古ギリシャの上着で ドリア式<キトン>を指す。大きい四角の布地の上縁を 1 /3 程度表に折り返し 更に縦に 2 つ折りにして 柏餅状に身体を包む丈長の寛衣で、両肩でブロ−チで留めて着用する。襞の美しさに優れる。

(訳注 064) アンテノ−ル Antenor
B.C.6 世紀後半のギリシャの彫刻家で ペルシャに運び去られた最初の暴君殺害者たちの大理石の彫刻を付くってアゴラに立て、又 B.C. 510 年完成のデルフイの二番目のアポロ神の神殿の東破風の彫刻エピフアニア Epiphania を作ったともされている。

(訳注 065) ア−ケイック・スマイル archaic smile
ギリシャのア−ケイック期 特に B.C. 6 世紀中頃以降のク−ロスやコレ−の彫像の口許に見られる 微笑に似た表情を言う。B.C.5 世紀初め頃には次第に消えた。微笑の持つ意味について 色々意見はあるが、彫像に魂を宿し、人間と同じ存在にしようとして考えた表現と見られる。

(訳注 066) クリテイウス Critius
B.C.5 世紀前半のギリシャの彫刻家で アテネで活躍した。生歿年は不詳である。アンテノ−ル Antenor の作った暴君殺害者群像がペルシャ人に略奪された後、B.C.477 年に ネシオテス Nesiotes と共同で 同じ群像を制作した。

(訳注 067) スフインクス Sphinx
胸から上部は女で 獅子の胴体、蛇の尾、鷲の翼を持つ怪獣。古代エジプト人はこれによって王の権力を表現し得ると信じ、最古のギゼ− Gizeh の例の如く 神殿建築では参道の両側に並べられた。非常に古く ヘラ女神がテ−ベを罰するためにエジプトから遣わしたものとされ、男性で翼のないエジプトの像が ギリシャ・ロ−マでは有翼の女性のものとなった。当初は子を攫らい 死を見守る怪物として、後に魔除けとされた。

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