○ パルテノン神殿
○ B.C.480 年には アクロポリスの丘の上にあった総べての神殿とアテネの全市が、ペルシャ軍に略奪されて 燃えてしまった。ペルクレス Pericles(訳注 024)が 自分の第一の協力者であったフイデイアス Phidias(訳注 025)の援けを藉りて この砦の今日のレイアウトを作ったものであって、ペルクレスは自分の前任者のキモン Cimon(訳注 026)が作り始めた 防御用の城壁を先ず修復した後で、このアクロポリスの丘の上に 幾つもの神殿を再建したのであった。処女女神のアテ−ナ女神に奉献される神殿のパルテノン神殿が 先ず第一に建てられるべきものであり、その建築家は イクテイノス Ictinus(訳注 027)で、建築工事の総監督であり 装飾となる彫刻物を制作した者は フイデイアスとその門弟たちであった。
○ パルテノン神殿は ドリア式 doric(訳注 028)のペリプテロス peripteros(訳注 029)形式の神殿であって、パンアテナエア祭の行進を描いた浮き彫りが入った 長さ 160 m.のフリ−ズ frieze(訳注 030)のイオニア式 ionic(訳注 031)の彫刻の装飾が ぐるっと一回りしているというのは、初めて見られることであった。 92 のメト−ペ metope(訳注 032)にも亦 彫刻が施されており、ギガ−ス族 Giants(訳注 033)との戦闘と アマゾン族 Amazon(訳注 034)との戦闘と ケンタウル Centaur(訳注 035)との戦闘及びトロイ戦争 Trojan War(訳注 036)の中でのシ−ンが 浮き彫りで描かれている。金と象牙とで出来たアテ−ナ女神の彫像は フイデイアスが作った作品であって、神殿の屋内に建てられていた。神殿の造営が完成した時に 破風の彫刻物が加えられた。東面の破風上には ゼウス神 Zeus(訳注 037)<ジュピタ−神 Jupiter>の頭から アテ−ナ女神が飛び出して誕生した場面が描かれ、西面の破風の上には アッテイカ地方の所有を巡って ポセイドン神とアテ−ナ女神との間で繰り広げられた争いが描かれている。
○ パルテノン神殿は 年代の経過によってその価値が低下することのなかった傑作の一つである。人間はこの貴重な宝物を略奪したけれども、アッテイカ地方の太陽は ペンテリコス山産のその大理石に愛情を込めて口付けし、黄金色の輝きを頒け与えた。そのうわべの外見は 幾世紀も経過する間に変化して来たが、その稜線は完成されていて 且つ調和の採れたものであり、ドリア式建造物としての完璧さを持っていることを証明しており、その骨組みも堂々とした威厳を具えて 今でも聳え立っている。今日でも未だ専門家たちを途方にくれさせている美学とか 遠近画法といった殆ど 2500 年も昔の問題を 古代のギリシャ人がどうして解き明かし得たのかを知った時、びっくり魂消てしまったのである。
○ 翼のないニケ女神の神殿とプロピュライアの入口門
○ パルテノン神殿に続いて 建築家のムネシクレス Mnesicles(訳注 038)が 印象的なプロピュラエア入口門 the Propylaea(訳注 039)を構築した。その後間もなく 第 3 の建築家カリクラテス Callicrates(訳注 040)がアテ−ナ・ニケ女神の上品な神殿を建てたが、この神殿は ニケ・アプテロス女神 Nike Apteros(訳注 041)と呼ばれる翼のないニケ女神 又は翼のない勝利の女神の神殿であって、アクロポリスに到る道で 特に注意を惹かれるものである。プロピュラエア入口門の南側に形成されてあった 高い砦の上に建てられた イオニア式のスタイルの神殿であって、ウイングレス・ヴィクトリ− Wingless Victory の神殿としても亦 知られている。この神殿のフリ−ズの装飾には プラタエア Plataea(訳注 042)の地で戦われた 歴史上の戦闘中の場面が描かれており、一方この神殿の大理石の胸壁の方には 異なったニケ女神 Nike(訳注 043)の幾つもの像の中に アテ−ナ・ニケ女神の像が描かれている。
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