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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
 
 

○ この 6 本の円柱の柱身には  24 の溝が付いていたが、これはイオニア柱式では通例のことである。小さい棕櫚と卵鏃模様との刳り形が、柱頭にある渦巻き形の下に付いていた。この円柱の柱頭には 嘗ては彩色が豊かに施されていたが、今は消えてしまっている。帯状になったエピステユレとフリ−ズとが ポルテイコの上部を取り巻いている。このフリ−ズの付いている位置は、ケラ本体の周りのものより幾らか低い。北面ポルテイコのケラの壁端柱のエピステユレには <アンテミア>が飾りとして付いていて、長い方の側面の上の部分上にあり エピステユレの直ぐ真下の所で繋がった一本の長い帯を形付くっていて、この神殿に特別に際立った美しさを与えている。壁柱の頭部と天井のコフア−とは青色で着色されており、金色の円花模様で飾られていた。

○ ポルテイコの東側では 敷石が幾つかなくなっており、下を覗き込むと、丁度天井に明いている オパイオン opaion(訳注 464)の名で知られる明かり取り窓の真下辺りに、岩に穴が 3 つ明いているのが見られる。剥き出しの岩に ポセイドン神が鉾ではっきり付けた 痕跡であると信じられている。アテネ市の所有を巡って 2 人の神の間でコンテストが行われ、ポセイドン神は 鉾から塩水の泉を、アテ−ナ女神は 槍からオリ−ブの木を出して、ケクロップスが その判定をしたと言われて来ている。入口の左方の敷石の上で 屋根の部分が取り除かれている場所に、ゼウス・ヒュパトス神 つまり<最高神のゼウス神>の祭壇か 又は本来アテ−ナ女神の神官職であるべきことが 彫り込みから知られるテユエコ−ス Thyechoos の祭壇が あった筈である。犠牲の獣の代わりに <ペムマタ pemmata>と呼ばれる甘いパンが この祭壇に供えられたと、パウサニアスは記述している。このポルテイコがある位置には、エレクテウスの墳墓があった筈である。

2)  入り口扉

○ この神殿の西側の区画への主たる入口は 北面壁の西端にあって、一番公式の門が そこにある大きい扉口であったことは確実であり、これは壮大で 且つ豪華なものであり 太古の神殿の入り口の 最も美しい原型を構成しているものであった。この扉は ロ−マ時代とビザンチン期に 手を加えられているが、今でも嘗ての気品が残っている。高さが 4.88 m.で、幅は下部で 2.42 m.あり 上部にゆくにつれて 少しづつ狭くなっている。この大きい扉口は 正しくアッテイカ芸術の傑作であって、イオニア式スタイルで美しく飾られていた。

○ 深みを出すために 扉の側面に彫刻が施されており、星形の金属の飾りの付いた 浅い浮き彫りの円花模様で枠取られている。入口の上の横木の (まぐさ)には アストラゴロス astragolos(訳注 465−玉縁)とイオニア式サイメイション(冠刳形)の美しい装飾があり、更にその上に 美しい花輪が載せられていた。B.C.1 世紀の終り近くの或る時点に この門が再建されて、その時に技法の質の面での変異が 色々と示されているのであるが、この改造時に取り替えられた扉の の模様に このことが一番良く現われて見える。

3)  プロストミエイオン Prostomiaon(訳注 466−入口の間)

○ ケラの西側にある室は <ア−カイオス・ネオスの神殿>に見られるのと同じ様に、3 つの部分に分かれている。北面ポルテイコから入口扉を通って内に入ると 先ず最初に 横長の形をした入口の間の<プロストミエイオン>と呼ばれる室があって、コレ−のポルテイコの背面壁になっている南側の壁面まで この室が拡がっている。この南側の壁面には 小さい開口部があり、入口の間はこの開口部を通して コレ−のポルテイコと繋がっていた。この入口の間の床は舗装されていたが、扉の敷居面よりはやや下がった低い位置にあったようである。このプロストミエイオンの室の左側 つまり東面には壁面が走っていて、その奥にあった 2 つの室との間仕切りになっていたが、この間仕切り壁は 現在ではなくなってしまっている。この間仕切り壁は 恐らく天井には届いていなかったらしく、奥の室に通じる入り口が 夫々に付いていた。このプロストミエイオンの室の右側は 西正面の背面壁になっていて、比較的小さい扉が 西に向かって開いて付いていた。

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