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アクロポリスの丘のその後の変遷
 
 

(訳注 542) アンコナ Ancona
イタリ−中部 東海岸アドリア海 Adriatic Sea に臨む港湾都市で、人口約 19 万人。中世のロマネスク・ゴシック様式の建物が残っている。ヴェネチア、トリエステなどに航路が通じ、商取引が盛んである。

(訳注 543) スルタン Sultan
当初はイスラム Islam 世界の 特定の支配者の地位を表示したが、後 イスラム教徒の大小の支配者の自称として 乱用された。 1517 年以降 オスマン帝国のスルタンが 宗俗両権威を統一して、<スルタン・カリフ制>を成立させたが、 1922 年オスマン朝 Ottoman 廃止に伴って この制度も消滅した。

(訳注 544) エルギン・マ−ブルズ Ergin Marbles
エルギン卿が アクロポリスの丘の上から持ち去り、今は大英博物館に展示されている パルテノン神殿の破風彫刻、フリ−ズやメト−ペの浮き彫りなどの 彫刻群を呼ぶ。

(訳注 545) バヴァリア Bavaria
ドイツ南部の州で、旧王国。人口 9 百万人強。面積は 76 平方 km.強で、首都はミュニッヒ Munich 。

(訳注 546) ウイッテルスバッハ家 House of Wittelsbach
ドイツ南部の州バヴァリア公で、ヴェルフエン家 Welfen の後を継いで  20 世紀末まで 支配者としての地位を保持したが、公国の国勢は振るわなかった。

(訳注 547) オット一世 OttoT
バヴァリアの王子で  1832 年大統領の元ロシア外相カポ・デイストリアスが暗殺された後、迎えられて 最初のギリシャの王となったが、専制的であった上に 内政でも政争が絶えず 財政難にも悩み、 1862 年革命で追放されて、代わりにデンマ−ク王子のゲオルギオス一世 Georgios Tが迎えられて 王となった。

(訳注 548) ハインリッヒ・シュリ−マン Heinrich Schliemann
1822 - 1890 年。ドイツの大商人で 考古学者である。北部ドイツのメクレンブルグ Mecklenburg の牧師の子で、少年時代 ホメロスの叙事詩に感激し、トロイの発掘を夢見る。ペテルブルグの卸商として 巨富を得た後、自費でトロイ(1871 - 73 年)、ミュケナイ( 1876 年)、オルコメノス、テイリュンス Tiryns などを発掘し、ギリシャ先史文明(エ−ゲ文明、ミュケナイ文明)世界の存在を確証した。旅行中 ナポリで急死した。

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