図版 014 と 015 クレオビスとビトンとの像 | next-図版 015 |
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○ イオニア地方の島産出の大理石で 出来ている。右側の彫像の高さは 土台抜きで 2.16 m.( 7 ft.)で、土台を含めると 2.35 m.( 7 ft. 9 inch )であり、左側の彫像の高さは 土台抜きで修復部分も含めて 2.18 m.( 7 ft. 2 inch )である。デルフイの美術館に収蔵されている。(収蔵品 No.467 と No.980 及び No.1524)
○ クレビオスとビトンとは ヘラ女神に仕えたアルゴスの女神官の息子であり、この二人については ヘロドトスの書(Ⅰ、31)の中で 次のような物語りが伝えられている。ヘラ女神の祭典が行われた時に、この女神官を女神の神殿に連れて行く牛車を曳くことになっていた牡牛が 畑での作業から時間に間に合うよう帰って来ず、姿が見えなかった。時間が切迫して来ていたので、女神官の二人の息子は 自らに馬具を付けて牛車に縛り付け、 45 スタデイア stadia<1 スタデイウム stadium(訳注 1)当たりで 192m.( 210 ヤ-ド )の計算になる>も離れた神殿まで 牛車を曳いて行った。ヘロドトスの伝える所によれば、祭典に参列した人々は総べて この功績を目撃したと言われ、居合わせたアルゴスの男どもは 二人の若者の力を褒め称え、アルゴスの女たちは こんな息子たちを持つ母親は倖(しあ)わせであるといって 拍手喝采した。母は息子たちの行為と これが人々の賛意を獲ち得たことに狂喜して、ヘラ女神の彫像に近付き、人間が手にし得る最大の願い事を 息子たちに叶(かな)えて下さるよう 女神に祈った。すると息子たちは 神殿の中で横になって眠りに就き、永遠に再び目覚めることはなかった。アルゴスの人々は この二人の兄弟の栄誉と永遠の記念のために 二人の姿に似せた彫像を作り、この像をデルフイで 神に献げることとしたのであった。
○ デルフイにあるアポロ神の神域のアテネの住民の神庫から程遠からぬ場所で、これら二つの彫像は 1893 年と 1894 年に出土した。 1907 年になって この聖域の東門の通路にあるロ-マ時代の浴場の壁面の中から、左側の彫像の土台が日の目を浴びることとなった。彫像を据え付けるに当たってはその前に、右側の像は両足部と両脚の下の方の部分を、左側の像は左の脛(すね)と両足部を夫々補修しなければならなかった。土台は前面が円くなっていて、その上っ面の表面には この二人の若者の名前や献納のいわれと共に、<アルゴスの何某メデス>(…… medes)という 彫刻家の名前の彫り込みも刻まれていて、ポリュメデス Polymedes か アガメデス Agamedes(訳注 2)の名を表わしていたものであろうと思われる。
○ この二人の兄弟は 左脚を前に出し、両腕を肘(ひじ)の所で僅かに曲げて 両手を握り 太腿の上に置くという、ア-ケイック期の若者の裸像に使われている 慣例的な手法で表現されている。左側の像の右の脛には 弯曲した窪みのあることとか、後で出て来た両足の断片に はっきりした足指が見られないこととかから見て、この二人の兄弟は 背高の靴を履いていたのではないかということが 暗に示されている。足の裏は両方とも大地に着き、身体はきちっと正面を向いたポ-ズを採って 表現されている。ア-モンド形の瞼が 周りを縁取った中に包み込まれている 両眼を大きく見開いて、真っ直ぐ前方を見詰めており、膨らみを持った不格好な眉が 両眼の上に覆い被さっている。幅広の低い額の上で、同じ大きさの円が横に一列になって並んだ形になって 頭髪が配列され、頭の所では美しい波状のカ-ブになって きっちりとくっ付いている。両耳の後ろでは 豊かな頭髪が、二本の飾り輪か 帯輪かで留め付けられており、その下方から 横に走る線で区切りの付けられた 短い編み髪が、両側に夫々 3 本ずつ喰み出して来て 両肩の前に垂れ下がり、更にもう 6 本の別の編み髪も 同じように帯輪か飾り輪かで一緒に留められていて、その髪の末端は 背中のところまで届いている。