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アクロポリスの丘の南斜面上にある建造物
 
 

(訳注 079) テメノス temenos
古代ギリシャにおいて神殿を中心とした聖域のこと。屡々その周囲には壁又は柱廊が巡らされ、入り口への門としてプロピュライアが設けられた。元々古典ギリシャの土地所有で共同体の土地総有のうち、その構成員に平分に分配された籤引地 kleros に対して、神域や王領などに配分された切取地を言った。

(訳注 080) トライポド Tripod
古代ギリシャのデルフイにあったアポロ神殿で 巫女ピュテイア Pythia がその上に座って神託を告げた 青銅の鼎(三脚台)で、月桂樹を飾ってあった。

(訳注 081) デイオニソス神の劇場 The Theater of Dionysos
アテネのアクロポリス丘南麓にあり、ペイシストラトスが創めた酒神デイオニソスの大祭では この劇場で 3 日間に悲劇と喜劇の新作が競演された。現在残っている遺跡の石造のものは B.C. 4 世紀以後のもので、B.C.5 世紀には座席も舞台も木造であった。
(訳注 082) アスクレピエイオン Asklepieion ( page 37 図 01 - No.12 - 17)  アクロポリスの丘の南東の麓にあったアスクレピオス神の社で、神殿、祭壇、病人の一時的な宿舎の役割りを果たしたストアなど グル−プになった建物から成っている。 B.C. 420 年の後 アルカナイ Archanai のテレコマス Telemachos とかいう人物が創設したものである。

(訳注 083) ストア stoa
柱列のある古代ギリシャの細長い独立建造物の列柱廊で、公共広場アゴラ agora に面して建てられたストアが代表的である。背後は壁で 柱列の前は広場に向かい、柱廊の後方には小室を並べて商店、倉庫などに用いた。遊歩場又は集会場でもある。

(訳注 084) ペリクレスのオデウム Odeum of Pericles
B.C.445 年にペルクレスの監督の下に建てられた音楽コンテスト用の広大な 4 面のホ−ルを持つ建造物で、非常に丈高の方形屋根が付いていた。デイオニソス劇場の東端に隣接し、絡み合うように建てられていたが、B.C. 86 年に灰燼に帰した。

(訳注 085) ヘロド アッテイコス Herod Atticus
A D 101 - 177 年。A D 161 年にオデイオンをアクロポリスの丘の麓に建てたことで知られる アテネの富豪である。アッテイカのマラトン出身で A D 2 世紀の擬古派文学の統領であり、学問・芸術を保護して ギリシャ各地に壮麗な建物を建てた。

(訳注 086) オデイオン odeion
ギリシャ・ロ−マ時代詠唱や演奏に用いられた奏楽堂で、オデウム odeum はそのラテン語。最初はアテナイにあったペルクレスのオデイオンのような 方形プランの建物であったが、ヘレニズム期以後は 概して劇場より小規模で 半円形の観客席を持つ長方形の屋根付きの建物となった。

(訳注 087) エウメネス二世王  EumenesU
? - B.C.160/159 年。ペルガモン Pergamon の王で、在位は B.C.197 - 160/ 159 年。アッタロス一世 AttalusTの子である。ロ−マと友好を結び、アンテイオコス三世 An-tiochos Vがロ−マに敗れたマグネシア Magnesia の戦いでロ−マに組して、小アジアの大部分を与えられた。晩年はガラテイア Galatia 人、ビテユニア人の侵入に悩んだが、ペルガモンを学業の中心とし、大図書館を建設した。

(訳注 088) ビザンチン期 Byzantine times
A D 330 年にビザンテイウムを都として帝国が建設されてから 1453 年にイスラム教徒によって滅亡するまでを言う。この時代にビザンチン美術は ギリシャ・ロ−マの古代古典主義を引き継ぎながら東方のアジア的伝統を取り入れて、決定的な成熟を遂げた。

(訳注 089) 聖母マリア The Virgin Mary
キリストの母。 Mary の語源はヘブライ語 miryam 又はアラム語 maryam で、<太った女>(すなわち<美女>)の意。処女のまま身籠もったとされる所から the Virgin など <処女>を意味する語で示された。

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