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アクロポリスの丘の歴史
 
 
 
 

○ エレクトニウス又はエレクテウス

○ ホメロス Homer(訳注 132)作のイリアド Iliad(訳注 133)の中で(U,546-549)エレクトニウス又はエレクテウスはアテネの王であり、アテ−ナ女神の極めて手厚い守護を受けたとされている。アクロポリスの丘の上で生まれて 女神自身がその面倒を見て育て上げたのであって、彼のことをアテネの人々は 自らの祖先に当たる産みの親であると見做した。<パンアテナイコス Panathenaicos(訳注 134)>という演説の中でイソクラテス Isocrates(訳注 135)は アテネの人々は <神の血統>であると誇りを込めて語り、<土着の人>と呼んでいる。ギリシャ人総べての中で 彼等だけは移民でもなければ 混血族でもなく、アクロポリスの丘の上で ヘパイストス神とガイア女神との間に生まれた エレクトニウスの後裔であるとイソクラテスは言っている。彼は更に テセウス Theseus(訳注 136)までの後代のアテネの王は 誰も彼れも総べてケクロップスと同じく、芸術の中では上半身人間 下半身大蛇という姿で表現されている 全く同じこのエレクトニウスの後裔であったと述べている。フイデイアスが金と象牙とを上に被せて作った アテ−ナ女神の彫像の盾の下で、エレクテウスを表わすシンボルの大蛇が とぐろを巻いていた。女神の忠実な仲間として 彼は女神の足許で 大蛇となって表現されたのであった。

○ エレクテウスは アテネ女神の崇拝を定着させた。この都市の守護神アテ−ナ・ポリアス女神の礼拝像を、彼はアクロポリスの丘の上の 女神に捧げられた神殿の中に安置した。この彫像は オリ−ブの木で出来ていた。天からの贈り物であると見做され、それ故に非常に敬われていたものであった。アテ−ナ女神及びポセイドン神と並んで エレクテウス自身もこの神殿で祭られており、この神殿がエレクテウムの名で呼ばれることとなったのは この事実の故のことである。エレクテウスの治世下で始めて ケクロップスの家系の人々は アテネの人として、又その都市はアテネとして知られるようになったと ヘロドトスはその著のウラニア Urania(訳注 137)章の中で述べている。当初アテナエア祭 Athenaea(訳注 138)の名で知られていた 大祭のパンアテナエア祭を創設したのも亦彼であり、彼のお蔭で 四輪戦車も亦考案された。この発明のご褒美として ゼウス神は彼が天上に駆け上がって オ−ライガ Auriga(訳注 139)という星座(馭者座)の中に 自らを据えるのを差し許した。

○ テセウス

○ 神話時代と初期歴史時代に 数あまたいたアテネの王の中で、一番重要な王はテセウスであった。その父のアエゲウス Aegeus(訳注 140)は エレクテウスの後裔であったし、ペロポネソス半島 Peloponnese(訳注 141)のトロイゼン Troizen(訳注 142)の王であり 自分自身がペロップス Pelops(訳注 143)の息子であった ピッテウスPittheus(訳注 144)の娘の アエトラ Aethra(訳注 145)がその母であって、祖父に当たるこのペロップスは、彼の名を取って命名された このペロポネソス半島の最も重要な王であった。太古にあって ギリシャ全土を通しての英雄として 又まことに神としてとすら言えるような 大変な栄誉を受けているのが ヘラクレスであるとするならば、都市アテネの格別優れた英雄は それでも尚テセウスであった。ヘラクレスの英雄的な功業に勢い付けられて それをモデルとして採り入れ、やがては 国土を略奪して住民を苦しめる略奪者や野獣を 国から駆逐するという勇敢な功績を収めて、大いにその名を挙げたのである。

○ その彼を格段に有名にした英雄的な偉業は 数多くあったが、その中で最大のものは クレタ島 Crete(訳注 146)のラビュリントスの迷宮 Labyrinth(訳注 147)で ミノタウル Minotaur(訳注 148)を殺したことであった。アンドロゲウス Androgeus(訳注 149)は ミノス王 Minos(訳注 150)とパシパエ Pasiphae(訳注 151)との息子であったが、クレタ島からアテネに旅して来て、その少し前に始められていた パンアテナエア祭に関連して開催されたコンテストに参加し、稀に見る素晴らしい成果を挙げた。併し彼は 偶然に出会ったマラトン Marathon(訳注 152)の牡牛に殺された。息子の死はアテネの人々のせいであるとしたミノス王は、その後艦隊を率いてアテネの都市の前に現われ、アテネ軍と戦ってこれを打ち破り、9 年間に亘って毎年 7 人づつの貴族の若い男女を 貢ぎ物として差し出すよう要求した。この若い男女は ミノタウルに貪ぼり喰わせるよう クレタ島の迷宮の中に閉じ込められた。その第 3 年目になって 籤を引いて決められた男女を載せて この悲運な船が正に出帆しようとしている時に、テセウスは自ら熱心に懇請して 犠牲者たちに同伴することが許された。アエゲウスは 若し彼が勝利を得て帰って来られるようであれば、黒い帆の代わりとして高く掲げるよう 白い帆を与えて持ってゆかせた。テセウスに恋慕したアリアドネ Ariadne(訳注 153)の助けを藉りて、彼はクレタ島のラビュリントスの迷宮の中で ミノタウルを退治し、魔法の糸を巻き戻すことで 安全且つ確実に 洞穴から再び外に出て来る道を見出すことが出来たのである。

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