てしまったということを 人々は良く知っていた。後に続く統治者たちは アルコン archon(訳注 184)と呼ばれた。一旦選ばれると終生アルコンであったが、自らのやったことを 人々に申し開きしなければならなかった。コドロスの一番年長の息子のメドン Medon(訳注 185)が 最初のアルコンであった。他の二人の息子たちのネレウス Neleus(訳注 186)とアンドロクロス Androclus(訳注 187)とは、アッテイカ地方の人口が可成り大きくなり過ぎたために 小アジア地方の西岸に植民すべく、イオニア人と共に 一緒に行きたいとした同じ位の人数のアテネの人々を連れて行った。もともとペロポネソス半島からやって来たイオニア人たちは こうして小アジアで 12 のイオニア人の都市を再び創設したのであって、その中では ミレタス Miletus(訳注 188)とエフエサス Ephesus(訳注 189)とが 最も栄えた都市となって来ていた。
○ ホメロスとその叙事詩イリアドとオデユセイ Odyssey(訳注 190) - B.C. 850 年
○ イオニア人の植民の後 200 年経った 凡そ B.C. 850 年頃、ドリス人の移民が齎らしたその凄まじい結末から ギリシャ人が次第に回復して行った頃になって、並外れて非凡な人物が現われて ギリシャ世界に光明を投じた。それは古今を通じての偉大な詩人の中での 究極の第一人者とされているホメロスである。彼の作った不滅の叙事詩のイリアドとオデユセイとは、ヨ−ロッパの文明と知的向上心との柱石となった。
○ アルコンたち
○ メドンの家系から選ばれたアルコンたち 10 人の統治を受けた後、アテネの人々はアルコンたちの職務の力を制約し その期間を短縮し始めたのであって、B.C.6 世紀の終りにはとうとう クレイステネス Cleisthenes(訳注 191)とその後のアリステイデス Aristides(訳注 192)とが、9 人のアルコンが毎年選任されるべきであると 明白にわざわざ明記するに到った。この 9 人のアルコンは誰もが 夫々に特別の任務を持つものであり、資産階級に属するメンバ−たち総べてが このアルコンの身分に選ばれる資格を持っていた。
○ 神話と歴史
○ アテネの歴史の第一章に当たる 神話と英雄の時代の歴史とは、コドロスが死んだ時点で終焉した。古代ギリシャの神話は その歴史ととても密接に絡み合っていて、その神話とか 伝説とかの中から 歴史の核心を抜き出して来ることは、どんな時期でも大変に難かしいことである。通常はお伽ぎ話のような魅力で描かれていて 余り本当のことらしくもない出来事を語っている神話の中に、屡々重要な定説とか 歴史的な真実とかが隠されていることも多いのであって、こうした定説や真実を 象徴性とか 幻想とかで被せられている神話的な封筒から はっきり区別し得るということは、殆ど無いのである。著述という手段が 未だ普遍的に採られていなかったこの時期には、初期歴史時代の色々なデ−タや出来事は、お伽ぎ話とか 神話とかの形を採って 一つの年代から次の年代に 比較的手軽に送り伝えられていったのであって、こうやって神話の言い伝えが生まれて来たのである。
○ ギリシャの部族の系譜についての言い伝え
○ 人々全体の運命を左右するような 歴史上の重大な出来事ですらも、時としては 神話の上の一人の人物 例えば重要な族長とか 部族のリ−ダ−といった人物のせいにしてしまうことが 良くあった。デウカリオンの神話は 込み入った歴史上の出来事を こうやって判り易くその子孫に伝えているものであって、ア−カエア人・アエオリア人 Aeolians(訳注 193)・ドリス人・イオニア人といった 色々なギリシャの部族の系譜とか、ギリシャの国内で繰り返し行われたその移民とかも亦、この神話と関わりを持っていた。ヘレン Hellen(訳注 194)は デウカリオンとピュラとの間に生まれた
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