○ アテ−ナ女神
○ 一番昔の 前ヘレニック期 pre-Hellenic times に始まって ペルクレスの年代から更にその後に到るまで、アテネの人々のお気に入りの女神は アテ−ナ女神であった。そのすべての年代を通じて 女神の栄誉を称えて建てられた数多の神殿は、人々がこの女神に非常に深い感謝の念を抱いていたことを示そうと 意図されたものであった。ホメロスの賛歌は ゼウス神のいとおしい最愛の娘としての アテ−ナ女神を示していて、ゼウス神は 娘には何でも否とは言えなかった。諸神の父であるゼウス神の額から 女神は完全に武装した姿で飛び出したのであって、<崇高な魂>を持ち <自らの人々を守る権力を充分に>持っているアテ−ナ女神が その槍を振り回すと、高く聳え立ったオリムポス山は震動し 広大な土地が揺れ動いた。ゼウス神やアポロ神の名と共に、女神の名にかけて 神聖な宣誓が行われた。このようにしてこの三人の神々は 充ち溢れた神の力を具体化したものと見られた。女神はゼウス神と同じく 天界の女神として雲を切り裂き 生気を齎らす雨を授ける雷雨や稲妻を司ったのであった。非常な太古では 女神は農業の女神として崇められていて、人々に大地の耕作と鋤の使用を教えたと言われている。
○ カルセイア祭 Chalceiaは 大声を挙げて悦こび、犠牲を供えて鋤の発明を祝賀する祭典であった。
○ アテ−ナ女神の祭典
○ アテ−ナ・パラス女神 Athena Pallas(訳注 211)は戦争の女神として その力と勇気とが目立って有名であったけれども、荒々しくて粗野な女神では 決してなかった。雅量に充ち溢れ 理解力と判断力と良識とを具現するものであったし、発明の女神・芸術と文化の女神でもあった。女神は又 婦人たちに織物と刺繍の芸術を教えた女神であり、都市の守護神として許りでなく 又農業の女神として 賢明な器用さの女神として、ギリシャの人々は祭典や謝恩祭で 女神に頼って訴えた。
1) プロカリステリア祭 Procharisteria
○ 冬の終わりに プロカリステリアの祭典が催されたが、この祭典はその期間中 翌年の秋には豊かな収穫が得られますよう みんなで祈るものであった。
○ クラシカル期に 未だ祝典が行われていた様々な宗教的祝典は、礼拝像の形を採ったアテ−ナ・ポリアス女神を尊敬していることと結び付いて 次第に発達していった。プリュンテリア祭 Plynteria とか カリュンテリア祭 Callynteria とか スキロポリア祭 Scirophoria とか アレポリア祭 Arrephoria といったものがそれであって、最後は パンアテナイア祭に到るのである。
2) プリュンテリア祭とカリュンテリア祭
○ 春になると 現在の 5 月 - 6 月に当たるタルゲリオンの月 Thargelion(訳注 212)の 19 日から 25 日の間に このプリュンテリア祭とカリュンテリア祭の祭典が催された。アテ−ナ女神の神殿は このプリュンテリア祭の期間にすっかり綺麗にされた。女神の木製の彫像は その外衣を脱がされて、ペプロスで覆われた。同時にこの外衣は 細心の注意を払って洗濯された。このペプロスで覆われた像は それから儀式張った行進をして フアレロンにある海に運ばれ、そこで神秘のベ−ルに包み隠されたセレモニ−の中で洗われて 又その神殿に持って帰られた。このセレモニ−の行われた日は 凶の日と考えられたので、仕事は休みであった。
○ プリュンテリア祭の後に続いて カリュンテリア祭が行われた。この祭典の期間中は 女神の彫像には再び衣服が着けられ、綺麗になった外衣を着けて 盛装させられた。この二つの祭典はどちらも 果物や小麦が成熟している一年の その時期に幕を下ろした。
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