○ 破風を飾り立てていた 神々の姿もなければ、メト−ペの上に見られた ケンタウル族の戦闘場面もないし、パンアテナエア祭の行進に参加して この神殿のフリ−ズを濶歩していた 人々の悦びに溢れた姿もない。パルテノン神殿の内陣には フイデイアスの作ったアテ−ナ・パルテノス本尊 Athena Parthenos(訳注 057)の 金と象牙とで出来た彫像も 最早安置されていないし、玄関を捜しても、アテ−ナ・プロマコス像Athena Promachos(訳注 058)の姿は見当たらない。今日目に触れるこれらの記念建造物には 装飾物がすっかり無くなっており、これは年代を経たことの代価なのである。今脚で踏んでいる所は何処でも 大理石の断片が道一ぱいに散らばっている。抜群に美しいこの芸術的中枢を奪い去ったという点について言えば、人間の行った破壊と荒廃とは 時の経過よりも大きくさえある。嘗てはこの聖なる神域に一ぱいに立っていた 数え切れない彫像は、今日ではその場所に 何一つとして立ってはいない。
○ 併しながら過去の声は今日でも これらの神殿の廃墟からでさえも語りかけ これらの聖なる建造物が 嘗ては華麗なものであったことを告げているのであって、それは単に それがあった年代において有名であった許りではなくて、今でもそれが古典的な建造物であり 同時に人間の創造力が生んだ賜物であることに対し、記念建造物としての評価を受けることが出来るものである。
◎ アクロポリス美術館
○ この美術館の収蔵品は アクロポリスの丘の上で出土した破風の彫刻品とか 浮き彫りとか 彫像とかが主体であって、丘の上の建造物の装飾品の一部であり その大部分が B.C. 6 世紀と 5 世紀とに アテ−ナ女神に奉献されたものであった。ア−ケイック期に作られた 沢山の女性の人物彫像の素晴らしいコレクションが その奉献物の中にあり、リヨン Lyon(訳注 059)のコレ− Kore(訳注 060)像とか ナクソス島 Naxos(訳注 061)のコレ−の像とか キオス島 Chios(訳注 062)のコレ−像とか ペプロス peplos(訳注 063)を着たコレ−像とか アンテノ−ル Antenor(訳注 064)のコレ−像とか エウテユデイコス Euthydicus の奉献したコレ−像などといったような 有名なア−ケイック・スマイル Archaic Smile(訳注 065)を浮かべたコレ−の像なのである。
○ 今日まで残っているこれらの奉献された供え物の彫刻物の中で 傑出しているものとしては、モスコポロス Moschophoros の像 つまり仔牛を両肩に担いでいる男性の像とか ラムパン Rampin の騎乗者の像とか 猟犬の像とか クリテイウス Critius(訳注 066)の作った少年の像とか ブロンドの髪の若者の頭部像などがある。更に又 スフインクス Sphinx(訳注 067)の像とか 四頭立て二輪戦車の彫像とか レノルマンLenormant の浮き彫りのような多くの奉献物の浮き彫り碑とか 瞑想に耽るアテ−ナ女神の像などもある。B.C.6 世紀のアクロポリスの丘の上にあった幾多の建造物にある破風の彫刻としては、仔牛を貪り喰っている獅子の像とか 人間の頭部と身体を 3 つ持っていて ヘラクレス Hercules(訳注 068)とトリトン Triton(訳注 069)との争いを見戍っている 怪物のテユポン Typhon(訳注 070)の像とか ヘラクレスとレルネの沼沢 Lerne(訳注 071)のヒュドラ Hydra(訳注 072)との間の争いの像とか ヘラクレスをオリムポス山 Olympus(訳注 073)に迎え入れる貌を描いたものなどがある。
○ ギガントマキア Gigantomachia(訳注 074)と呼ばれる 神々とギガ−ス族との戦闘を構成している 破風の素晴らしい彫像の内 アテ−ナ女神やギガ−ス族を描いた 4 体も亦展示されていて、これはペイシストラデスの一門 Peisistradae の治世下に造営された神殿の 東破風の装飾品であった。更に加えて、パルテノン神殿のフリ−ズの断片とか エレクテウム神殿のフリ−ズの断片許りでなく、アテ−ナ・ニケ女神の神殿の 大理石で出来た胸壁の一部も 幾つか展示されている。パルテノン神殿のフリ−ズの厚板で アポロ神Apollo(訳注 075)とアルテミス女神 Artemis(訳注 076)とポセイドン神とを描いた厚板は 特別に美しいものであって、恐らくフイデイアスの弟子の アゴラクリトス Agorakritos(訳注 077)の作品であろうと見られる。アテ−ナ・ニケ女神の神殿にも 美しい厚板がもう一枚付いていて、それはサンダルを脱いでいるニケ女神を描いた厚板である。
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