(訳注 100) ミュケナイ Mycenae ( page 41 図 04 参照)
ペロポネソス半島東北部アルゴリス地方 Argolis の北辺にある 先史ギリシャ時代の城塞都市で、エ−ゲ文明後期に属するミュケナイ美術の中心地。クレタ Crete を圧迫し B.C. 1500 年頃東部地中海の海上権を握った。伝説ではアガメムノンの居城とされる。巨石を積んだ城壁(高さ 17 m. 厚さ 6 m.)、獅子門、宮殿、メガロンなどの他 竪穴墳墓なども残っている。ドリス人の侵入で衰え、B.C.468 年壊滅した。
(訳注 101) ペラスゴイ族の人々 Pelasgians
ギリシャの非印欧系住民で ホメロスではテッサリ−を中心に ギリシャ全土に分布していた先住民であって、キクラデス群島の一部の島々や ギリシャ本土の温暖地方に初期に定着し、その地理的位置を利用して 青銅器時代を通じて ギリシャ本土とトロイ、小アジア及びクレタとの交易によって繁栄した人々で、後にカリア人、レレックス人 Lelex、フエニキア人 Phoenicia であったともされるが、その起源は不明である。
(訳注 102) テイリュンス Tiryns ( page 41 図 04 参照)
ペロポネソス半島東部 アルゴス湾 Argos 東岸の小丘にある ミュケナイ期の城塞都市で、B.C. 13 世紀頃建造された。巨大な石塊で築いた壮大な所謂<キュクロップスの城壁>と その内部に設けられた地下倉庫は有名。城塞の中央に 宮殿の玄関、中庭、メガロンなどの跡が残る。B.C. 12 世紀に ドリス人の侵入で破壊された。
(訳注 103) アレポロスたち arrephoros
アレポロイ arrephoroi は複数形。アレポリアの儀式を行うため毎年選ばれる 4 人の少女の一人で、アテ−ナ女神に捧げるペプロスを織ったり、秘密のものが入った籠をアテ−ナ女神の神殿まで運んだ。
(訳注 104) ヘロドトス Herodotus
ギリシャの歴史家で 小アジアのハリカルナソス Halicarnassus の名門に生まれた。生涯の間に大旅行をして ペルシャ戦争を主題とする 物語的<歴史> 9 巻を著した。各地、各民族の風俗習慣の相違に通じ、<歴史の父>と称された。
(訳注 105) 亜ミュケナイ期 Sub - Mycenaean era
ミュケナイのアクロポリスが破壊された後の B.C.1100 年頃からジオメトリック期の始まる B.C.1000 年頃までの鉄器時代を呼ぶ。
(訳注 106) ジオメトリック期 Geometric
ミュケナイ美術が滅んだ後 ギリシャ人が最初に作り出した美術様式の幾何学様式がアッテイカ地方で最も発達した B.C.900 -700 年を言い、特に後半の B.C. 8 世紀半ば以降が最盛期である。ケラメイコス墓地でその精巧な葬祭用の大型壺が大量に出土した。
(訳注 107) ヒピアス Hippias
B.C.527 - 510 年。アテネの僭主。ペイシストラトスの長子で、弟のヒパルコスと協力してアテネを支配し、政治家肌で実権を握り 父の政策を継続したが、後暴政により 市民の攻撃を受け、小アジアに亡命した。
(訳注 108) ポロス石 Poros
<多孔性石灰石><石灰華>を言う。恰も虫に侵蝕されたかのような小さい孔状の傷を有し、その多孔質に趣があるため 装飾用として用いる。色は淡褐色か茶褐色で、イタリ−産が有名である。トラバ−チン travertine とも言う。
(訳注 109) アクタエウス Actaeus
アッテイカの初代の王と言われる。その娘のアグラウロス Aglauros は アテネの王ケクロップスの妻となった。
(訳注 110) パウサニアス Pausanias
A D 2 世紀後半の 多分リュデイア Lydia 出身のギリシャの旅行家。ペロポネソス半島と中部ギリシャの歴史、地理、宗教をはじめ都市、その周辺の神殿、美術品、祭犠、神話伝説などを 豊富且つ正確に記述した <ギリシャ案内記> 10 巻を著した。
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