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アクロポリスの丘の歴史
 
 

(訳注 149) アンドロゲオス Androgeus
クレタ王ミノスとパシパエとの子で 運動競技にすぐれ、パンアテナエア祭ですべての相手を負かしたため、アエゲウス王にマラトン Marathon の牡牛退治にやらされて 牡牛に殺された。

(訳注 150) ミノス王 Minos
ゼウス神とエウロペ Europe との子で、クレタ島の王。クノソス Cnossos の宮殿に住み、死後黄泉の国で裁判官をつとめたという。又はその孫のクレタ島の王。

(訳注 151) パシパエ Pasiphae
クレタ王ミノスの妻で、太陽神ヘリオス Helios とペルセ−イス Perseis との娘である。ポセイドン神が王に送った牡牛と交わって ミノタウル Minotaur を生んだ。

(訳注 152) マラトン Marathon ( page 41 図 04 参照)
アッテイカ地方の東海岸で アテネの北東の小村である。第二次ペルシャ戦争の時 B.C.490 年にギリシャ軍が この地に上陸したペルシャの大軍を破り、青年ペイデイピアデス Pheidipiades がアテネまで 凡そ 42 km. を走って勝報を伝えたことから これを記念してマラトン競走が始まったとされている。

(訳注 153) アリアドネ Ariadne
クレタ王ミノスとパシパエ Pasiphae との娘で テセウスと恋に陥ち、妻となる約束で迷宮の道案内の糸玉を与えて ミノタウル退治を助けたが、アテネへの帰途 ナクソス島 Naxos に置き去りにされた。後デイオニソスの妃となって 王冠を授けられた。

(訳注 154) フアレロン湾 Phaleron
ピレウス Piraeus と並ぶアッテイカ地方の港で、アテネの南方にあってサロン湾 Saronic Gulf に面しており、B.C.5 世紀前半にテミストクレス Themistokles が ピレウス港を築くまではアッテイカ地方最大の港であった。アルゴナウツの一人パレロス Phaleros がこの町に名を与えたとされる。

(訳注 155) ニケ・ピュルゴスの高台 Nike Pyrgos
アテネのアクロポリスの丘の上の入口門 プロピュライア the Propylaea に向かって右に突き出した砦の高台で、そこにはアテ−ナ・ニケの神殿が建っている。

(訳注 156) メガリス地方 Megaris
古代ギリシャのコリント Corinth とアエギナ Aegina 両湾の間の丘陵地帯をいう。
(訳注 157) ツキュデイデス Thukydides
B.C.5 世紀後半アテネ民主政最盛期の歴史家で、将軍としてペロポネソス戦争では救出作戦に失敗して トラキアに追放され、この戦争をテ−マとする 政治・軍事史<歴史>を著した。正確な編年史の形をとり、科学史的、実用的歴史の祖とされる。

(訳注 158) シュノイキア祭 Synoikia
<集住>を意味するシュノイキスモス Synoikismos として <村々に分かれて>生活していた幾つかの村落共同体が 一つの都市国家(ポリス)に結合したのを記念して テセウス Theseus が創始した大祭典で、<集住祭>の意である。今の 7 月半ばから 8 月半ばの頃に当たるエカトムバエオン Hecatombaeon の月の第 16 日に行われた。

(訳注 159) メトエキア祭 Metoekia
シュノイキア祭<集住祭>を又 メトエキア祭<移住祭>とも呼ぶ。アッテイカ地方の諸都市と部族グル−プとの結合を祝ったものである。

(訳注 160) オリムピック・ゲイムズ Olympic Games
古代ギリシャの全民族的な 4 大祭典の一つ。B.C.776 年に第 1 回が開かれ、以後 4 年目毎に行われ、393 年に廃止されたが、 1896 年に近代競技として再興された。

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