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アクロポリスの丘の歴史
 
 

(訳注 173) ドリス人 Dorians
古代ギリシャ三種族の一つである。B.C. 1100 年頃南下してミュケナイの諸王宮を滅ぼし、ペロポネソス半島とクレタ島とに定住して スパルタ型ポリスを作った。三部族から成る。ヘレン Hellen の子のドロス Doros を祖とするとされる。

(訳注 174) ヘラクリダイ Heraclidae
<ヘラクレスの後裔>の意。青銅器文明時代の崩壊後、北方侵入者によってマケドニア地方を逐われ ペロポネソス半島にまで移住した<西北方言群>を話すドリス人などを率いた一族で、自らをヘラクレスの死後デルフイの神託に従ってアテネに遁れ 今故郷に帰還しようとするその子孫で ア−カエア人であると称していた。

(訳注 175) ア−カエア人 Archaeans
ドリス人の南下定住以前の B.C.1900 年頃ギリシャ本土南部に南下して 早くからヘラス Hellas の土地に入り ミュケナイ文化を築いた人種で、印欧語族に属する。

(訳注 176) トラキア地方 Thracia  ( page 41 図 04 参照)
バルカン半島 Balcan 東部のギリシャのマケドニア北東地方の古称。後にロ−マ領となったが、今は西部はギリシャ領(面積 8586 平方 km.)東部はトルコ領(面積 23970平方 km.)である。

(訳注 177) 小アジア地方 Asia Minor
アナトリア Anatolia とも呼ばれる。アジア西部の黒海、地中海、エ−ゲ海、マルマラ海に囲まれた半島部で、現在のトルコの大部分を占める。B.C. 20 世紀末のヒッタイト古王国の成立に始まり、古代にはビテユニア Bithynia、フリギア Phrygia、ミシア Mysia、カリア Caria、リュキア Lycia などの諸国が割拠して 栄えた。

(訳注 178) ピュロス Pylos  ( page 41 図 04 参照)
ペロポネソス半島南部の古代の宮殿都市で、B.C. 1600 年頃ミュケナイ、オルコメノス Orchomenos と並んで栄えた。伝説の王ネスト−ルの居城とされるミュケナイ期の王城は ピュロスに近い丘にあり、B.C. 13 世紀頃の建造で プロピュロン propylon、メガロン、女王の間、浴室などの跡が良く保存されている。

(訳注 179) ネスト−ル Nestor
ピュロス王で ネレウス Neleus とクロリス Chloris との子である。ヘラクレスがピュロスを襲った時、彼のみ助かって王位に即く。トロイ戦争には二人の息子と共に  90 隻の船を率いて参加したギリシャ軍の老顧問で トロイの陥落後無事帰国した。

(訳注 180) イオニア人 Ionians
古代ギリシャの三部族の一つで、本土から 小アジア西岸に植民した。4 部族から成る。イオン Ion を祖とするとされる。

(訳注 181) メガラ Megara ( page 41 図 04 参照)
古代ギリシャのメガリス地方 Megaris の首都。ポセイドン神とオイノペ Oinope との子メガレウス Megareus が ミノス王に攻囲されたニ−サ Nisa の市の援助に出掛けて戦死したので、この町が後に再建された時に メガラと改名されたとされる。

(訳注 182) デルフイ Delphi ( page 41 図 04 参照)
ギリシャ中部パルナソス山 Parnassus 腹の古代都市で、その長方形の神域にはドリア式のアポロ神の神殿をはじめ劇場、多くの都市の神庫、公堂、柱廊などがあって この神の信仰の中心であり、この地の神託は 政治的にも大きい影響を持った。有名なピュテイア競技 Pythian Games も行われた。

(訳注 183) コドロス Codrus
伝説的なアテネの王。父メラントス Melanthos の功により 子なく世を去ったテセウス最後の後裔テユモイテス Thymoites の後を継いで 王となった。

 

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