(訳注 184) アルコン archon
ギリシャ語で<統治者>の意。主に行政を司るエポニモス Eponymous、国家宗教を任とするバシレウス、軍事を担当するポレマルコス Polemarchos と裁判業務の 6 人のテスモテテス Thesmothetai の 9 人から成り、任期 1 年でポリス統治の重責を担ったが、B.C.457 年以降次第に重要性を失い、その地位を将軍に奪われた。
(訳注 185) メドン Medon
アッテイカ地方のコドロス王 Codrus の子で、父の死後 王位を継いだとも 王政を廃止したとも言われる。
(訳注 186) ネレウス Neleus
アテネのコドロス王の子である。アッテイカ地方からのイオニア人とヘラクリダイ Heraclidae に逐われたメッセニア人 Messenia とを率いて イオニア地方のミレタス市 Miletus を創建したと伝えられる。
(訳注 187) アンドロクロス Androclus
コドロス王の子で エフエソス市 Erhesus の創建者。イオニア人を率いて同地のカリア人 Caria やレレクス人 Lelex を逐い、神託の示したこの地に市を建設した。
(訳注 188) ミレタス Miletus ( page 41 図 04 参照)
小アジア エ−ゲ海沿岸の古代ギリシャのイオニア人の古都で ミュケナイが植民し イオニア人が移住した。B.C.7 世紀に全盛期を迎え タレス Thales などの イオニア哲学ミレタス学派が名高い。B.C.494 年 ペルシャに滅ぼされたが、その後 この町出身の建築家ヒポダモス Hippodamos の都市計画に基づき 整然とした碁盤目状に再建された。現在ロ−マ時代の大劇場、市場、浴場、港などの跡が残る。
(訳注 189) エフエサス Ephesus ( page 41 図 04 参照)
小アジア西岸の エ−ゲ海に面した港湾都市で、B.C. 1000 年頃に 古代ギリシャのイオニア人が 植民市として建設した。市の守護神を祀る イオニア式のアルテミシオン Artemision は 9 x 21 柱の二重周柱式、床面 55.10 m.x 115.14 m.という大規模な建築で、古代七不思議の一つに数えられた。B.C.550 年頃に着工し、B.C.356 年の火災後に再建された。B.C.7 - 6 世紀には 殷盛を誇ったが、リュデイア Lydia、ペルシャに屈し、ロ−マ期にはアジア州都として栄えた。
(訳注 190) オデユッセイ Odyssey
古代ギリシャの大詩人ホメロス Homer の作と言われている大史詩で、オデユセウス Odysseus がトロイ Troy の戦後 イタカ Ithaka のわが家へ帰るまで 10 年間の 漂流の途中の冒険を描いたものである。
(訳注 191) クレイステネス Cleisthenes
B.C.6 世紀後半のアテネの政治家で、名門のアルクメオン家系 Alkmeonidai に属し、母もシキュオン Sicyon 僭主のクレイステネスの娘の アガリステ Agariste である。B.C.510 年に僭主制を打倒し、亡命より帰国した後も デモス demos(区)を構成単位とする 500 人会を設けるなど 様々な民主的改革を行った。
(訳注 192) アリステイデス Aristides
B.C.520 頃 -468 年。アテネの政治家で軍人。マラトン、サラミスの戦いで活躍し、プラタイア戦ではアテネ軍の最高指揮者。478 年にはアテネ海軍の指揮者となり ギリシャ連合艦隊の指揮権をスパルタからアテネに奪い、477 年デロス同盟を成立させた。
(訳注 193) アエオリア人 Aeolians
ドリス人、イオニア人と並んでギリシャ三種族の一つ。その祖はポセイドン神とメラニッペ Melanippe との間に生まれた双生児の一人アイオロス Aiolos とされる。
(訳注 194) ヘレン Hellen
デウカリオン Deucalion の子で、ギリシャ人の総称のヘレネス Hellenes の源となる祖である。山のニンフのオルセイス Orseis を娶り、ドロス、クストス、アイオラス(何れも夫々ドリス人・イオニア人・アエオリア人の祖)の父となった。
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