(訳注 267) ヘレスポント海峡 Hellespont ( page 41 図 04 参照)
ダ−ダネルス海峡 Dardanellos のこと。マルマラ海 Marmara とエ−ゲ海とを結ぶ海峡で、欧州とアジアとの境をなす。長さ 65 km. 幅は 1.5 - 8 km.である。
(訳注 268) スパルタ Sparta ( page 41 図 04 参照)
ラケダイモン Lakedaimon とも言う。ペロポネソス半島中部の ドリス人の建てた古代ギリシャの都市国家で、兵士に対するその厳格な訓練は <スパルタ式訓練>として有名である。B.C.4 世紀以降 人口の減少と土地所有の集中とによって衰え、B.C.195 年に ロ−マに征服された。
(訳注 269) レオニダス王 Leonidas
? - B.C.480 年。スパルタ王で ペルシャのクセルクセス王 Xerxes の侵入を喰い止めるべく 4 千人の兵を率いて派遣されたが、背後に回られ 1 千人余の部下と共に最後まで戦って、テルモピュライの隘路で戦死した。
(訳注 270) ボエオテイア地方 Boeotia ( page 41 図 04 参照)
古代ギリシャのアテネ北西の一地方で 首都はテ−ベ Thebes。ボエオテイア人はテッサリ− Thessary から入り、ドリス人の南下で北西方言群が加わったとされる。B.C.4 世紀がその最盛期であったが、アテネ人には 頭が鈍いといなか者扱いされた。
(訳注 271) エウボイア島 Euboea ( page 41 図 04 参照)
エ−ゲ海にあるギリシャ最大の島で 首都はハルキス Chalkis である。B.C.8 世紀頃ハルキスとエレトリア Eretria の 2 市が商業都市として栄え、各地に植民し その度量衡がイオニア系諸市で広く用いられた。大体アテネの支配下にあり、後マケドニアとロ−マの支配下に移った。
(訳注 272) アルテミシオン岬 Artemisium ( page 41 図 04 参照)
ギリシャのエウボイア島北端の岬で、B.C.480 年 ペルシャ海軍がアテネと引き分けたが、別動隊は南端で 嵐のために壊滅した。
(訳注 273) テミストクレス Themistocles
B.C.528 年頃 - 462 年頃。アテネの軍人で政治家。海軍を重視し、B.C.480 年にはペルシャのクセルクセス王 Xerxes の率いる艦隊をサラミスで撃破し、その後アテネの城壁を再建 拡張した。B.C.470 年陶片追放に遭い、ペルシャに逃れて死亡した。
(訳注 274) プルタ−ク Plutarch
A D 46 年頃 - 120 年以後。ロ−マ帝政時代のギリシャ歴史家である。カイロネイア Chaironeia に生まれ、アテネで学んだ。ロ−マでは トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝の知遇を得た。著名な作品<英雄伝>にうち 46 篇が現存している。
(訳注 275) マルドニウス Mardonius
? - B.C.479 年。ペルシャの将軍で B.C.492 年にギリシャへの第 1 回遠征の指揮をとり、更にクセルクセス王の遠征時に同 479 年プラタエアの戦いで戦死した。
(訳注 276) ピレウス港 Piraeus ( page 41 図 04 参照)
アテネの南西約 10 km. にある外港で、ギリシャ第一の軍港、貿易港。B.C.493 年にテミストクレス Themistokles が ペルシャ戦争に備えて軍港をフアレロン Phaleron から移し、後商港を併設した。ロ−マ時代に廃れたが、近代に再興された。
(訳注 277) エウリュメドン河 Eurymedon
パンフユリアの川で アテネの将軍キモンが トラキアにおけるペルシャの最後の根拠地エイオン Aion を占領し 次いでスキュロス島 Skyros を占領した後、B.C. 466/467 年にこの川の辺の海戦及び陸戦で ペルシャ軍を破って大勝利を得た地である。
(訳注 278) デロス同盟 Delian Confederacy
アテネのアリステイデス Aristides の提唱で B.C.477 年に結成されたペルシャに対抗するギリシャ諸都市の攻守同盟であったが、アテネの強化と共に次第にアテナイ帝国化し、ペロポネソス戦争におけるアテネの降伏で 同 404 年に消滅した。
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