(訳注 279) エ−ゲ海 Aegean Sea( page 41 図 04 参照)
地中海の一部で、小アジアとギリシャとの間の海域を言う。多数の島が散在し、多島海という言葉の語源をなした。エ−ゲ海文明の発祥地である。
(訳注 280) デロス島 Delos ( page 41 図 04 参照)
エ−ゲ海南西部にあるキクラデス群島 Cyclades 中の ギリシャ領の小島である。アポロ神とアルテミス女神 Artemis とは この島で生まれたとされ、アポロ神の託宣所として有名である。デロス同盟の中心地である。
(訳注 281) タソス島 Thassos ( page 41 図 04 参照)
エ−ゲ海北部のトラキア Thrakia 前面のギリシャの島で、B.C.680 年頃パロス島から植民された。金山を有し 対岸のトラキア金山も所有して、財政豊かなポリスであった。B.C.340 年にマケドニアの支配下に置かれた。
(訳注 282) ラウリオン Laurion
B.C.483 年に発見された鉱山で、ペルクレスの年代には 銀を主体として各種金属の埋蔵量が多くて 有名であった。アッテイカ地方最東南端のスニオン岬 Sounion のやや北方近い所にある。
(訳注 283) ポリュグノトス Polygnotus
タソス島 Thassos に生まれ アテネに移住した B.C. 5 世紀中頃の写実画家で、ヘフアエステイオン Hephaestion やストア・ピオキレ等の壁画家として知られるが、遺品は現存しない。遠近法と中間色を使って エスキュロスの悲劇に通じる エトスの精神を描いたと言い、倫理を保ちつつ 透けた衣服の新しい絵を描いた。
(訳注 284) ミコン Micon
ポリュグノトス、パナエナスと並ぶ B.C.5 世紀半ばの大画家で、ア−ケイック様式の約束的形態や表現から脱し、人間の自由な姿態の描写に基いた理想的な人体美を作り、形像に立体感を与えて 古代のクラシカル様式を達成した。
(訳注 285) パナエナス Panaenus
B.C.5 世紀半ば頃の絵師で、ア−ケイック期の様式の約束的形態や表現から脱し 人間の自由な姿態の描写に基づいた 理想的な人体美を作り上げ、形像に立体感を与え、多人数の構図では前後の位置を考慮するなど 古代の古典様式を達成した。
(訳注 286) ピオキレ Piokile のストア ( page 40 図 03 - 32)
アテネのアゴラの北側にあったと伝えられるストアで、B.C.5 世紀半ばに ポリュグノトス Polygnotus たちの名高い壁画の作品が描かれていたとされ、デルフイ Delphi のストア・レスケ Lesche と共に有名である。ピオキレは 古典建築で内壁を塗料で美しく装飾された ポルテイコ portico 又は公共建築物を言う。
(訳注 287) フレスコ画 fresco
生乾きの漆喰画の上に 水性顔料で描く絵画又はその絵画技法を言う。普通壁と天井の装飾に用い、漆喰が絵具を吸収して 乾くと文字通り壁の一部となってしまうので、普通の壁画に比し極めて持ちの良い画面が出来上がる。エ−ゲ文明時代クレタ島のクノソスの壁画などから始まったとされ、イタリ−のルネサンスの巨匠の手で完成された。
(訳注 288) エギナ島 Aegina ( page 41 図 04 参照)
ギリシャ本土サロン湾 SaroniC Gulf 内の小島で ドリス人が占住した。B.C.7 世紀半ばギリシャ人の間で初めて小額貨幣が鋳造された。ギリシャの代表的商業都市で 有力な国となったが、植民市を作らず アテネに次第に圧迫された。
(訳注 289) アテ−ナ・アフアイア女神 Athena Aphaea
エギナ島で崇拝された女神で、元々クレタ島のブリトマルテイス女神 Britomartis がこの島に遁がれて アルテミス女神に助けられ、その保護を受けて この島でアフアイアの名の下に崇拝されたものが、アテ−ナ女神崇拝と混同された。
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