ttl120
 
navi
 
sitemap
図版ページ
 
アクロポリスの丘の歴史
 
 

(訳注 290) アフアイア女神の神殿 Aphaea
ギリシャのサロン湾に浮かぶ エギナ島の東岸台地に建つドリア式神殿で、B.C.500 年頃の建造である。東西 6 柱 南北 12 柱、床面 13.77 m. x 28.81 m.の大きさで、島で崇拝された地方的な女神アフアイアを祀る。トロイ戦争を表わした東西破風の群像は ア−ケイック彫刻の傑作として有名である。

(訳注 291) オリムピア Olympiapage 41 図 04 参照)
ギリシャのエリス地方 Elis(ペロポネソス半島西北部)にあるゼウス神の聖地で、都市をなさず 神域があるだけである。4 年毎の祭典競技は有名である。聖域内には最古のドリア式神殿ヘライオン( 6 x 16 柱 B.C. 600 年頃)、ゼウス神殿( 6 x 13 柱 B.C. 456 年頃)、神庫、柱廊、祭壇などが、聖域周辺にはスタデイオン stadion(走路約 192 m.)、体育場、宿泊所、管理所などギリシャ・ロ−マ時代の建築や施設の跡が残る。

(訳注 292) オナタス Onatas
B.C.5 世紀初頭のギリシャの彫刻家で 生歿年は不詳。アルゴス Argos のアゲラダスと共に シヴィア・スタイル期を代表するエギナ派 Aegina の巨匠で、ブロンズ鋳造技術に秀れていた。B.C.480 - 460 年頃 アテネ、オリムピア、デルフイの各地で活躍したが、原作は現存していない。

(訳注 293) シキュオン Sicyon( page 41 図 04 参照)
コリント Corinth の北西に隣し アルゴス Argos のドリス人が原住民を支配して建設したポリスで、スパルタ型社会構造を持っていた。僣主制が 100 年も続いたのは 特異なことで、彫刻家リュシッポス Lysippus を生んだが、ロ−マ進出後衰えた。

(訳注 294) カナカス Canachus
B.C.5 世紀前半のギリシャの彫刻家で シキュオン Sicyon の出身であった。オナタス Onatas、アゲラダス Ageladas と並んで シヴィア・スタイル期の代表的彫刻家として 幅広い評価を受けている。

(訳注 295) アルゴス Argos ( page 41 図 04 参照)
ペロポネソス半島東部 アルゴリス地方 Argolis の中心地の地方都市で、ドリス人の侵入後 この地方の主となり、B.C.7 世紀始め ペロポネソスの一流国家であったが、後スパルタに圧倒された。東北方のヘラ女神の神殿は この女神信仰の中心であった。
(訳注 296) アゲラダス Ageladas
B.C.5 世紀前半のギリシャのアルゴス Argos の彫刻家で、ミュロン Myron、フイデイアス Phidias、ポリユクリタス Polyclitus の師と伝えられる。

(訳注 297) ミュロン Myron
ギリシャの彫刻家で、B.C.500 年頃アッテイカ北西部で生まれた。ブロンズ彫刻が専門で B.C.5 世紀第 3 四半期がその活動期。激動的肉体表現に成功した最初の彫刻家で、牝牛像が高評を博し、<円盤を投げる男>は摸刻が幾つか残存している。

(訳注 298) ポリュクリタス Polyclitus
アルゴス Argos 生まれのギリシャの彫刻家で、B.C.5 世紀後半を活動期とする アルゴス・シキュオン派 Argos・ Sicyon の代表者である。ブロンズ彫刻が得意で、その代表作の<槍を担ぐ人>は、人体美の標準として <カノン canon(規準)>とも呼ばれ、肉体の完成美を示した。現存する作品はない。

(訳注 299) カラミス Calamis
B.C.5 世紀前半に活動したギリシャの彫刻家で、生歿年は不詳である。ボエオテイア地方 Boeotia 生まれで オナタス Onatas の弟子である。シヴィア・スタイル期の重要な作家で、動物像の作家としても有名であったと伝えられるが、原作は現存しない。

( 062 )

 
    next
space各ページへのダイレクト・リンク