(訳注 343) アグリッパスのオデイオン Odeion of Agrippas(page 40 図 03 参照)
ロ−マ帝国の将軍アグリッパスがアテネに寄贈したもので、アゴラでは最大の 2 階建ての建物。出入り口に 6 体の巨人像が飾られ(巨人像 1 体と 2 体のトリトンが現存する。)、内部には柱がなくて 1000 人を収容出来たと言う。3 世紀に破壊され、 4 世紀にはその跡に体育館が建てられ、大学として使用された。
(訳注 344) ヘリアイア Heliaia ( page 40 図 03 参照)
501 人から成る 古代アテネの通常の初審民衆法廷の呼び名である。初めの頃は屋外で 日の出と共に裁判を始めたので、ヘリオス(太陽)と呼ばれていた。
(訳注 345) 聖アポストレス Holy Apostles の教会( page 40 図 03 参照)
11 世紀に建てられたビザンチン教会で、 1957 年にアメリカの考古学会が復元した。教会内のフレスコ画は 17 世紀頃の作である。アテネのアゴラの南の区画にあり、中世期を伝える唯一の遺構である。
(訳注 346) ピオキリのストア Piokili Stoa( page 40 図 03 参照)
古典建築で内壁を塗料で美しく装飾された 絵画のあるポルテイコ portico 又は公共建築物をピオキリと言う。アテネのアゴラの北側のストアは、B.C.5 世紀半ばのポリグノトスたちの名高い壁画作品が描かれていて、デルフイのストア・レスケ Lesche と共に有名であった。
(訳注 347) アッタロス二世のストア Stoa of Attalus ( page 40 図 03 参照)
ペルガモン王アッタロス二世がアテネ留学時代に受けた親切に感謝して、B.C.150 年に寄贈したもので、アメリカ考古学会の手で 1953 年に再建された。2 階建てで 1 階はドリア式、2 階はイオニア式列柱であり、現在は 古代アゴラ博物館になっている。
(訳注 348) 擬デイプテロス pseudodipteros( page 43 図 06 参照)
ギリシャの古代神殿の一形式で、周柱列と壁との間の間隔をデイプテロスの場合のままにしながら 内側の柱列を欠いているものを言う。
(訳注 349) マグネシア Magnesia
トルコの小アジア西部の内陸都市で、現在のマニサ Manisa に当たる。B.C.190 年にシリアのセレウコス朝 Seleukos のアンテイオコス三世 AntiokosVの軍が この地でロ−マ軍に大敗した。
(訳注 350) カンタロス kantaros( page 44 - 45 挿絵 01 と 02 参照)
短い足と台座の付いた古代ギリシャ・ロ−マの深い鉢形の杯で、耳状の 2 つの把手がある。デイオニソス神を祝う献酒(リベイション libation)の杯として用いられた。
( 067 ) |