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アクロポリスの丘の南斜面上にある建造物
 
 

(訳注 013) エガレオス山 Mt. Aegaleos
ギリシャ南部アテネの西約 10 km.にある山で、高さは 466 m.エレウシス湾とサラミス島を望み、B.C.480 年サラミス海戦の時クセルクセス王の軍営が設置された。

(訳注 014) アンケスモス山 Mt. Anchesmus
アテネに近い山で、ゼウス神を祭る神殿があったことから ゼウス神のことをアンケスミアス Anchesmius と呼ぶようになった。トウルコヴニ山 Turkovuni とも呼ばれる。

(訳注 015) リカベトス山 Mt. Lycabettus
アテネ市内で屹立した岩山で 標高 277.4 m.。歴史上果たした役割りはない。

(訳注 016) フイロパパスの丘 Philoppapos ( page 39 図 02 - No.03 参照)
アクロポリス西南方にあるアテネの丘で ム−セイオンの丘 Museion とも呼ばれる。ロ−マ時代にアテネの市民となった シリア Syria の一貴公子フイロパパス Gaius Julius Antiochs Philoppapos の墓が  AD 2 世紀にこの丘に建てられた。

(訳注 017) ポセイドン神 Poseidon
ゼウス神の兄弟神で 海を支配し、泉・地震の神、競馬の守護神である。エウボエア島 Euboea 沖海底に宮殿を持ち、三叉の鉾は海を鎮め 地震を起こすとされた。ロ−マ神話のネプトウヌス Neptunus に当たる。

(訳注 018) ア−ケイック期 Archaic
B.C.7 世紀初期から B.C. 480 年頃までの ギリシャ美術の初期の段階を示す時代を言う。直立裸体のク−ロス(青年)像や着衣のコレ−(少女)像に 極めて幼稚 素朴ながら写実的関心が急速に高まっているのが見られる。

(訳注 019) ペイシストラトス Peisistratus
? - B.C.527 年。アテネの僭主。貴族の出でソロンの縁者であり その引退後民主政を求める山地党の首領となった。温和ですぐれた政策を実行し、勧農策に努めた他 陶器等の手工業も勧奨して 当時のアテネをギリシャ世界の有力なポリスとした。

(訳注 020) パンアテナイア祭 Panathenaea
<全アテナイ祭>の意で、古代アテネの最大の国家的祭典である。毎年行われるものと 4 年毎の<大パンアテナイア祭>とがあった。行事は行列と供犠と競技とから成る。競技の優勝者に与えられたアンフオラが 多数出土している。

(訳注 021) プロピュレウム propyleum
古代ギリシャの神殿は多く 小神殿やその他の付属建物と共に一定の境内を持つ聖域の中心として建てられているが、この聖域の入り口をなす記念的な楼門を言う。プロピュラエア propylaea はその複数形。(プロピュライオン propylaion は そのギリシャ語である)

(訳注 022) アテ−ナ・ニケ女神の神殿 Athena Nike( page 37 図 01 - No.40) アテネのアクロポリスの丘の西南隅の高台にある イオニア式の小神殿である。アテ−ナ・ニケ女神(勝利を齎らす女神アテ−ナ)に捧げられたもので、建築家カリクラテスの設計( B.C. 448 年頃)にもとづき B.C.421 年頃に建造された。東西面に大理石一本造りのイオニア式円柱 4 本づつを配してある。アムフイプロステユロス(両面前柱式)で 床面は 5.4m. x 8.3 m.である。

(訳注 023) パルテノン神殿 The Parthenon( page 37 図 01 - No.43)
アテネのアクロポリスの丘の上に立ち 守護神アテ−ナ女神を祀る神殿で B.C.447 - 432 年の造営。建築家はイクテイノスとカリクラテス。 8 x 17 柱 床面 30.88 m. x 69.50 m.の繞柱式神殿で、内部はフイデイアス作の本尊を安置したナオス、パルテノン、東西の前房と後房から成る。全体はドリア式であるが 細部にイオニア式要素を採り入れ、両様式の持つ重厚さと優雅さを融合した 古典的理想を見事に実現した。

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