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アクロポリスの丘の南斜面上にある建造物
 
 

(訳注 024) ペルクレス Pericles
B.C.495 頃 -429 年。アテネの全盛期の政治家で 父は民主派政治家クサンテイポス Xanthippos 。若くして民主派政治家として頭角を顕わし 卓越した知性と徳と雄弁とで長期間指導権を維持したが、疫病で死亡。パルテノン神殿の造営を提案し実行した。

(訳注 025) フイデイアス Phidias
アテネに生まれ B.C. 5 世紀後半 主にアテネで活躍した彫刻家で、クラシカル期を代表する巨匠である。パルテノン神殿造営の総監督で、アテ−ナ・パルテノス本尊やオリムピアのゼウス神像を作った。アルカイックの生硬を脱している。

(訳注 026) キモン Cimon
B.C.512 年頃 - 499 年。アテネの政治家で軍人である。ミルテイアデス Miltiadesの子で、結婚によりアテネの名門アルクメオニダイ一門の家系に入る。反ペルシャ、親スパルタで ペルシャ軍と戦って大勝利を得た後、スパルタとは 5 年の休戦を成立させた。キプロス島 Cypros 遠征中に死亡した。

(訳注 027) イクテイノス Ictinus
B.C.5 世紀後半のギリシャの代表的建築家で、アテネ生まれと思われる。アテネのパルテノン神殿などの建築者で、バッサイ Vassai にあるアポロ神殿、エレウシスの密儀堂テレステリオン Telestherion も 彼の手になると言われる。

(訳注 028) ドリア式 doric
ギリシャ美術の一様式で イオニア式の優美、女性的に対し、簡素、豪壮、男性的である。神殿建築では B.C.7 世紀以降 ギリシャ本土、南イタリ−のギリシャ植民地で造営され、ドリス人の造型感覚を反映している。

(訳注 029) ペリプテロス Peripteros ( page 43 図 06 E 参照)
<周柱式><繞柱式>の意。古代神殿の一形式で、ケラ cella の周りに一列に円柱を回らせたもの。二重はデイプテロス、周柱が独立でなく壁付き柱となっている場合は プセウドペリプテロス(擬周柱式)と呼ぶ。 peripteral のギリシャ語である。

(訳注 030) フリ−ズ frieze
古代神殿建築において エンタブレイチュアを構成する水平の部分で、ア−キトレイブとコルニスの間に位置する。ドリア式オ−ダ−では メト−ペとトリュグリフより成る。一般には コルニスの下に設けられる帯状の面を呼び、装飾帯となることが多い。

(訳注 031) イオニア式 ionic
ギリシャ美術の一様式で イオニアに興り、優美で女性的、情緒的な傾向を持つ。神殿建築では B.C.6 世紀以降 小アジアとエ−ゲ海諸島のイオニア圏及びアッテイカ地方に多く造営された。

(訳注 032) メト−ペ metope(小間壁) ( page 42 図 05 参照)
ドリア式オ−ダ−のフリ−ズで 2 つのトリグリュフ triglyph(三条竪筋溝)の間の 板石で作られた方形の枠間の壁を言い、無飾りもあるが 浮き彫りの彫刻装飾で飾られた場合も多い。パルテノン神殿のメト−ペの浮き彫りは その最も有名な例である。

(訳注 033) ギガ−ス族たち Giants
巨大な身体を持ち 頭と顎に濃い毛を生やし、腰から下は竜の姿で巨力を振るった野蛮な民族で、ガイア女神 Gaea とウラノス神 Uranos 又はタルタロス神 Tartaros との間の子とされる。オリムポスの神々に戦いを挑み 空に岩や火の点いた樫の木を投じたが、ギガントマキア Gigantomachia と呼ばれる大戦争で滅ぼされ 予言通りヘラクレスを味方に引き入れた神々に 次々に殺された。

(訳注 034) アマゾン族 Amazon
<乳なし>の意。軍神アレス Ares とニンフのハルモニア Harmonia とを祖とする 勇猛で好戦的な女人族で、小アジア北辺の古代コ−カサス山 Caucasus や黒海沿岸に棲むとされた。子は女のみ育て、弓術にすぐれ 度々アテネと戦闘した。

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