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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
 
 

○ エレクテウム神殿の造営

○ エレクテウム神殿の名は エレクテウスから来ているものであり、この神殿はアテ−ナ女神の礼拝と 神格化されたエレクテウスの礼拝とに奉献されたものであって、このエレクテウスというのはロ−カルな英雄で アテネの神話上の王であった。エレクテウスは、ヘパエストス神とガイア女神との間に生まれた息子で アテ−ナ女神の手で育てられたエリクトニウスと同一視されており、後年になってクラシカル期には ポセイドン神とも同一視された。従って二重神殿であるこのエレクテウム神殿は、神殿の共通神である アテ−ナ女神とポセイドン神とに奉献されたものと推測され、この二人の神と言えば又 アッテイカ地方の土地の所有を巡るコンテストが行われた 聖なる岩山のこの特定の場所のことを連想させるのである。この神殿では エリクトニウスの父であるヘパイストス神 及びエリクテウスの兄弟である英雄ブ−テスも亦 礼拝されていたとパウサニアスは伝えている。

○ この神殿は 平面図では、北と東と南の 3 つの側面に夫々一つづつ合計 3 つのポルテイコの付いた、ケラの所での大きさが 22.22 x 11.62 m.の面積を持つ 長方形の神殿で、パルテノン神殿よりずっと小型で 型も違っており、低い敷地の上に建てられている。外面の形態を見ても 円柱のコロネ−ド(柱列廊)が付いていないし、幾つかの内部の室も単調でないし、ケラの平面の高さを調整するに当たっても、色々な点で他の古代神殿にない一風変わった 独特なやり方が見られている。この神殿は パルテノン神殿に対抗して作られたものではない。東面の両神殿の間に立って この 2 つの神殿を見較べてみると、イオニア式のほっそりした円柱に代表される この神殿の繊細な優雅さと緻密な均斉とが 英雄的なドリア式スタイルのパルテノン神殿の荘重な偉観と 大変良く調和の採れているのに驚くのである。

○ この神殿の造営が始まった頃は、信心深く保守的で 幾らか迷信的な指導者ニキアスの手に アテネの権力が握られていた。ペルクレスの年代の 30 年間 権力の座から遠ざかっていた貴族政治の党派が 再び頭を持ち上げて、嘗てあった宗教的伝統と昔の型を持った町に立ち戻ることを望んでいた。戦争による疲弊ということもあった。こういった時代の変遷を背景にして考えた時に この建物の持つ特色が良く理解出来ることなのである。

○ 神殿の外観

○ 単調でがっちりした特色を持った パルテノン神殿と比較すると、この神殿は形の面でも 構成の面でも 単一性が欠けていて 複雑に見え、クラシカル期に出来た建造物の中では 一番変わった形態を持ったものである。長方形のこの神殿の東面と南北両面とには ポルテイコが付いているが、その東と南の両面だけは 嘗てこの区画に建っていた古い神殿の跡と 同じ平面の高さにあって、その床面は 西と北の両面の床面より凡そ 3 m.許り高い。南北の両面に付いているポルテイコはどちらも 長い外壁の単調さを破る役割りを持った 素晴らしいものではあるが、この両面のポルテイコは その平面の高さが全く違っている許りでなく、形も全く違っていて 相互に対称的なものでもない。

○ 東西両面の土台の平面の高さは違っているが、神殿全体を覆っている屋根は 南北に傾斜面の付いた一つのものであり、南北両面に付いているポルテイコだけには 幾分低い屋根が 別個に付いていた。土台の平面の高さに大きな違いがあったため 東西 2 つの正面玄関の形が全く似ていないのが 大きい特色である。東面を見る限りでは  6.59 m.の高さの円柱 6 本の付いた イオニア式の通常のプロステユレ(前柱式)タイプの神殿であるように見えるが、西側正面はまるで 二階建ての建物のようである。コロネ−ドは付いていないけれども 東西の両正面には 傾斜した屋根との間に出来た三角形の破風が付いていた。

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