○ この 6 体の女人像は 今日ではカリアテイ−ドと呼ばれているが、この語は本来の意味で用いられているものではない。彼女たちはダンスで有名なカリュエス Caryes(訳注 474)の女性ではなくて 単なるアテネの少女であり、ドリア式のペプロスを着て 腰で紐を締めている。このように人間の形を採って建物を支えることが 何かを象徴するものであったのかどうかは 良く判っていない。女性の像が円柱の代わりに使われているのは 此処だけではなく、B.C.6 世紀頃からその例は良く見られている。
○ この女人像柱は、B.C.6 世紀にペイシストラトスの一族の人々が権勢を振るっていた年代に建立された アテ−ナ女神の<ア−ケイオス・ネオス神殿>の西側の部分と、当初は直接向かい合っていた。B.C.480 年にペルシャ軍が大火を起こした後も、この神殿はうまく修復されて、神殿の中にアテ−ナ女神の礼拝像が 仮りに安置されていたが、B.C.406 年には 失火とはとても思えない火災があって、この神殿は完全に毀われてしまった。エレクテウム神殿の南西のコ−ナ−も この火災で損傷を受けた。
8) 神殿のゾフオロス
○ 神殿のケラと北面のポルテイコには 高さが 0.62 m.のフリ−ズになった <ゾフオロス>が付いていて、神殿全体の外観に 特別に際立った輝きを与えている。その人物像は エレウシス地方産の濃紺の大理石の厚板の上に、ペンデリコス山産の白い大理石に彫刻されて くっ付けられていた。北面のポルテイコのゾフオロスの人物像は、ケラのゾフオロスのものに比して 少し許りサイズが大きい。優雅で 生き生きとしており、自然に忠実な外観を持っているという特徴が、これらのすべての人物像に 洗練された技法で与えられている。
○ 相当数の作品が保存されて来ていて 今ではアクロポリス美術館に収蔵されているにも拘わらず、このゾフオロスに描写されているテ−マとか 主題とかは 明らかになって来ていない。中心のテ−マが、イオンとか ケクロップスとか エレクテウスとか エウモルポス Eumolpos(訳注 475)とか等々の アッテイカの国の神話に出て来る人物像と 関連を持ったものであることの可能性は高い。この彫像のデザインを作った作者の名も亦 判っていない。併し 刻み込みが残っていて、この人物像を彫刻した職人の名は何人か その刻み込みから判って来ている。
9) 神殿の屋根と破風
○ エンタブレイチュアとケラと北面のポルテイコとを覆って 破風の付いた屋根が夫々建造された。北面ポルテイコの屋根は 一段と低い平面にあり、その軸線はケラの屋根に対して 直角になって走っていた。南面のコレ−のポルテイコには それ自体のエンタブレイチュアが付いていて、その屋根は平らなものであった。
○ この神殿には破風が 3 つあり、ケラに 2 つと 北面ポルテイコに 1 つ付いていたが、破風彫刻は その何れにも付いていなかった。どの破風にもその頂上には 獅子の首が聳え立っており、両コ−ナ−には、<アクロテリア>と呼ばれる装飾になった 大理石の水甕形の飾りと、花の形をした アンテフイックス antefix(訳注 476)と呼ばれる胸壁の軒先装飾瓦がその上に載った 二重の弯曲のある波形の刳り形の<サイマ−>とが付いていた。
10) 神殿の特性
○ このエレクテウム神殿の全般的な設計を見ても、数多の室の外面の形態とか 内面の設計とかに 建築として一風変わっ点のあることを見ても、この神殿を作った建築家が その実に賢明なコンセプトに従ったやり方をしているかが良く判る。プリピュライア入口門の建築では 建造物に雄大な構成を持たせるために必要な敷地を確保すべく アテ−ナ・ニケ神殿の敷地や アルテミス・ブラウロニア女神の神域の敷地にまで入り込むよう要求されていたのであったが、この神殿では 全く正反対のやり方が採られていて、その特性は 次の通りである。
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