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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
 
 

○ パンドロソスの神域

○ パンドロソスの神域は パンドロセイオン Pandroseion(page 37,図 01 - No.51)と呼ばれ、ケクロップスの娘たちの一人であるパンドロソスの礼拝に奉献された社であって、エレクテウム神殿の二層重ねになった西側の壁面の更に西の方に、その位置があった。丈の低い垣根の付いたこのパンドロセイオンには ケクロップスの娘の小さい社の他に、アテ−ナ女神の聖なるオリ−ブの木が 域内に含まれていた。<保護者>であるヘルケイオス・ゼウス神の祭壇のあった位置は このオリ−ブの木の下で、少なくともミュケナイ期の王宮の年代から B.C.4 世紀に到るまで、この祭壇は保存されていた。

○ アレフオリオン The Arrephorionpage 37,図 01 - No.52)

○ この<アレフオロスたち>の建物は アテ−ナ・ポリアス女神の神殿であるエレクテウム神殿から 余り離れていない所にあったと パウサニアスが記述しており、この建物は、アクロポリスの丘の北側の擁壁にぎりぎりの境界線の所で パンドロソスの神域の少し許り西に寄った所に 建っていたのであって、構築物の土台が現在も残っていて その位置が確認されている。このアレフオリオンの建物は 8.50 x 4.50 m.の面積を持った 幅が広くて奥行きの浅い室から成っていて、その長い面である南側は 正面に円柱が 4 本立っていて ストアに面しており、その中央には入口が付いていた。この砦の擁壁の下にある 秘密の通路と階段とを通って、このアレフオリオンの建物は パ−ン神の洞穴と アグロ−レイオンの社とに連絡が取れており、このアグロ−レイオンは ケクロップスのもう一人の娘を祭る社であって、この社が建っていた位置は アレフオリオンの建物の真下であった。

○ アテネの名の知られた一族から選抜された  7 - 11 才の若い乙女のこのアレフオロスたちは カバ−を掛けられた<口に出せない聖なる物体>を運ぶことで この聖なる儀式を執り行なったのであって、彼女たち自身も それが何であるか調べることは許されなかった。その後で聖なる階段を降りてゆき アグロレイオンの建物の傍らを通り過ぎて、隣り合わせになっているアフロデイテ女神の社の神官に その運んで来たものを手渡した。その場所というのは 以前に神官から同じようにカバ−を掛けられた もう一つの聖なる物体を受け取って、次々に同じル−トを引き返して アテ−ナ女神の女神官の所に運んだ場所であった。アレフオロスたちのこの聖なる儀式と 乙女たちが運んだ物体とは 豊穣が増大してゆくこととか 田畑の種蒔きとかを象徴化したものであり、乙女たちの運んだ物体は 大蛇に似たクッキ−とか 男根の形をしたクッキ−とかであって、<竜と男形によく似たもの>と呼ばれ、恐らくはタラス thalluses(葉状体)と呼ばれる パインの木の小枝ででもあったことであろう。

○ アテ−ナ・エルガネ女神 Athena Ergane(訳注 480)のテメノス

○ この構内の東方 パルテノン神殿のある方角には 一段高いテラスの上に アテ−ナ・エルガネ女神のテメノスがあり、職人たちやその妻たちが この女神に供え物を持って来たのであった。

○ アテ−ナ・プロマコスの像 ( page 37 図 01 - No.53)

○ エウリュメドン河の戦闘で ペルシャ軍を撃破して勝利を収め、そして特にペルシャ軍の戦利品を売却して 金銭を獲ち得た後になって、パルテノン神殿の造営工事が始められる数年前の 凡そ B.C. 454 年頃に、アテネの人々は これらの野蛮人たちと戦って来た間に 自分たちを援助して呉れた アテ−ナ・プロマコスの栄誉を称えたこの巨像を 厳粛に奉献した。この巨像は <フイデイアスの作品であるとされていて、マラトンに上陸したメデイアの人々から 賞として供えられた アテ−ナ女神のブロンズ像>なのであった。この像は フイデイアスの手で制作された 最初のアテ−ナ女神像であったに違いないが、アクロポリスの丘の空いた区画を飾り立てていた 数多くの彫像の中で、そのサイズだけをとって見ても 一番強い印象を与えたもので、プロピュライア入口門に通じる 入り口の真正面凡そ 37 m.の 言わば一番効果的な場所に置かれ、パンアテナイア祭の行進の進む 聖道の左側に立っていた。

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