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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
挿絵 17) アテ−ナ・プロマコス像及びエレクテウム神殿とパルテノン神殿との間に置いてあった沢山の奉献された貢ぎ物
(ステイ−ヴンスのスケッチ)
 
 


○ 高さが 1.5 m.の大理石の台座を含めると その丈の高さが 8.64 m.にも及ぶ 等身大より遥かに大きい巨大な寸法の このアテ−ナ女神の像は、完全武装の姿で表現されていて、ペプロスと呼ばれる ドリア式のヴェ−ルを身に着け、右腕を挙げて 槍を支えていて、この槍の尖ったその先端は 女神の冠っているヘルメットより高く立っている。左手で持っているのは盾で、女神の直ぐ横に 垂直に据えられていた。船乗りたちが フアレロン湾に入ってゆくべく スニオン岬 Cape Sounion(訳注 481)を回る時、遥か彼方に 女神のヘルメットの羽飾りになった前立てや 女神の槍の金色をした先端が、もう見えたものだと言われている。盾の内側には ラピタイ族とケンタウルとの間の争いであるケンタウロマキ− Centauromachy(訳注 482)が 浮き彫りで描かれていた。これは 有名な絵師のパラシオス Parrasios がデザインしたものであって、盾の金属に彫り込んだのは 有名な彫金師のミュス Mys であった。この二人はどちらも フイデイアスより後の年代に属する 芸術家の一員であった。

○ アテ−ナ・プロマコス像は 古代の最も有名な彫像の一つであり、アクロポリスの丘の上では サイズの一番大きいものであった。デイピュロンの二重門の所で始まり、アクロポリスの丘に到着するまで ずっとこのパンアテナイア祭の行進に付き添って、<女神がこの祭典の指揮を執った>と 太古の典拠が伝えている。この像が象徴的に表わしている 信仰心が示しているものは、アテネの人々が 今平和な状況にあり、同時に 強い愛国心で祖国を守り抜いた この戦闘の中で見せた人々の力が、覚悟が出来ていて 打ち破られることのない勝利を示すものであったということであった。

○ この像の立っていた区画にあったもので 今でも残っているのは、この岩山の上に その境界を鑿で刻んである痕跡の残っている 5 x 5 m.の面積を持った 彫像の台石の跡と、石の台座の断片が 幾つかだけである。

○ レムノス島 Lemnos(訳注 483)のアテ−ナ女神の像

○ レムノス島のアテ−ナ女神像 The Lemnian Athene も 同様にフイデイアスの作った作品で、平和の女神としてのアテ−ナ女神像が示されていた。女神は ヘルメットも盾も槍も身に着けないで、表現されていた。レムノス島にいたアッテイカ地方の移住者が、平和の保護女神として このブロンズ像をアテ−ナ女神に奉献したものであった。

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