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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 

(訳注 392) シシリ−島 Sicily
イタリ−半島先端沖の地中海最大の島である。B.C.8 - 7 世紀にギリシャ人が植民し、同 5 世紀にシュラクサイ Syrakusai を中心に 主として僭主制の下 ギリシャ文化が栄えた。ギリシャ、カルタゴ Carthago の進出に苦しみ、ポエニ戦争 Poeni後 ロ−マの属州となる。島名は先住民シクリ族 Sicuri に由来する。

(訳注 393) デケレイア Deceleia
ペロポネソス戦争中の B.C. 413 年に スパルタ王のアギス二世 Agis Uは、その当時スパルタに亡命していたアルキビアデスの勧めにより アッテイカ地方のこの地に陣して、アテネを脅かした。

(訳注 394) アルキビアデス Alcibiades
B.C.450 ? - 404 年。アテネの政治家で将軍。美貌の野心家として有名で、ニキアスの和約後 反スパルタとなり、シシリ−遠征を唱えたが、ペロポネソス戦争中に失脚してスパルタに亡命し、更にペルシャに逃れ B.C.407 年帰国後海陸の総指揮者となったが 又罷免され、フリュギア Phrygia で暗殺された。

(訳注 395) モロシニ Francesco Morosini
1687 年にアクロポリスの丘を攻囲して、パルテノン神殿を砲火で破壊した ヴェネツイア軍の将軍で 総督である。

(訳注 396) イピゲネイア Iphigeneia
アガメムノンとクリュタイムネストラ Clytaimnestra との娘。タウリス人 Tauris の国のアルテミス女神の神官の時 デルフイの神託でこの国に来て 誤って人身御供とされた弟のオレステス Orestes を 神像と共に連れ出し、アテ−ナ女神の援助で無事脱出して 神像をアッテイカのハライ Halai に齎らし その神官として女神に仕えた。アルテミス女神の分身ともされる。

(訳注 397) タウリス Tauris
クリミア半島 Crimea にあった。タブリズ Tabriz の古代の名で、イラン北西部の都市であり、アゼルバイジャン州 Azerbaidzan の首都である。

(訳注 398) プラクシテレス Praxiteles
B.C.370 - 330 年頃。アテネで活躍した彫刻家である。クラシカル期後期の代表作家で、<プラクシテレスのS形>と呼ばれる流麗な人体表現で <優美様式>の創始者とされる。卓越した大理石彫法で 優美な人体を表現し、神像に世俗性を加えた。優雅で情緒に充ちた作風である。

(訳注 399) プロナオス pronaos  ( page 43 図 06 参照)
<前房><玄関間>の意。ギリシャ・ロ−マの神殿に於ける前室で、ケラ cella の前面に その側壁を延長して作った古代の神殿建築に見られる 玄関入口の間を言う。

(訳注 400) プロステユレ prostyle ( page 43 図 06 参照)
ギリシャ語はプロステユロス prostylos。<前柱廊式建築>のこと。古代ギリシャ神殿の一形式で、正面に柱列を立て 他の 3 面は壁で覆ったままにしたものを言う。

(訳注 401) ウルパルテノン神殿 Urparthenon
B.C.6 世紀末か 5 世紀始めに建てられ始めたが、完成に到らなかった 第二番目のパルテノン神殿で、両端面 6 本 両側面 16 本の円柱が周りを取り囲む ヘクサスタイルの繞柱式の ドリア式神殿になる筈であった。

(訳注 402) オストラキスモス ostrakismos
<陶片追放>のことである。B.C.5 世紀に アテナイに民主政治が成立した時、僭主が現われるのを防ぐために設けられた 秘密投票による追放制度で、 6000 票を超えると  10 年間 国外に追放された。

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