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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 

(訳注 403) ステレオベイト stereobate
<基壇>のこと。ギリシャ語では ステユロバテス stylobates。ギリシャの古代神殿建築で 全構成体を支える土台を視覚的に表現した石造の根積みを言い、二段又は三段になっている時は その下段を指す。

(訳注 404) オクタスタイル octastyle
<八柱式>の意。ギリシャ・ロ−マの古代の神殿又は神殿風の建物の一形式で、前後面の一方又は両方に 8 本の円柱の立っている様式を言う。ギリシャ語はオクタステユロス octastylos である。

(訳注 405) プテロン pteron
ギリシャ・ロ−マの神殿の 内陣の側壁と平行で それから離れた列柱を言い、又この列柱と内陣側壁との間の空間を言うこともある。プテロ ptero は<翼><羽毛>の意を表わすギリシャ語から借用の造語要素である。

(訳注 406) デイアゾマ diazoma
トリグリュフ triglyph(三条竪筋溝)とメト−ペ metope(小間壁)との総称であって、エンタブレイチュアのア−キトレイブとコルニスの間を構成するフリ−ズに当たる部分である。

(訳注 407) アレキサンダ−大王 Alexander the Great
マケドニア王で、在位は B.C. 336 - 323 年。父はフイリッポス二世である。即位後ギリシャ諸市の反乱を抑えて覇権を確保し、B.C.334 年春 小アジアを平定し、エジプト、バビロニア Babylonia などに進攻。B.C.327 年には印度にも入ったが、同 323 年に病死した。在位中は殆ど征戦に終始したが、経済の発展を促し ギリシャ文化を弘布し、東西を融和した世界文明の形成に努め、ヘレニズム時代を実現した。

(訳注 408) グラウニコス川 Graunicus 畔の戦い
マケドニア王アレキサンダ−大王が B.C. 334 年 5 月に その東征の最初にペルシャ軍を破った戦闘である。グラウニコス川は 小アジア、フリュギア Phrygia を流れ、マルマラ湾に流れ入る川である。

(訳注 409) ネロ帝 Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus
ロ−マ帝国第 5 代皇帝( 37 - 68 年)。在位 54 -68 年。治世当初は 哲学者セネカ Seneca の後見の下に 善政を敷いたが、後放縦となり 権力の座を争って 生母、妻も暗殺した。ギリシャ文化に心酔したが、キリスト教徒の大量処刑で 反乱が起こり、自殺した。

(訳注 410) プロモクトス promochthos
<露玉>の意。コルニス(軒蛇腹)の上にある露玉を持った厚板のこと。

(訳注 411) エンタシス entasis
古代ギリシャ建築の円柱の柱身が中央部でやや膨らんでいる様子(胴張り)を指す。直線では中央部が細く見えるのを矯正するためとも、円柱の重心を低くして安定性を増すためともされる。ヘレニズム期に東方に伝わり、法隆寺などにもその影響が見られる。

(訳注 412) エキナス echinus  ( page 42 図 05 参照)
ドリア式の建築様式の柱頭(キャピタル)において アバクス(頂柱板) abacus の下にある微妙な曲線プロフイルを持つ 逆饅頭形の刳形装飾部材で、イオニア式では 薄くて卵鏃模様などで華やかに飾られている。ラテン語で<雲丹>の意。この部材が雲丹の殻に似ている所から付けられた名称である。

(訳注 413) アバクス abacus ( page 42 図 05 参照)
<頂柱板><冠板>の意。柱頭とエンタブレイチュアとの間に置かれる正方形の板状の部材。ドリア式の建築様式では 大きい方形の版であり、イオニア式は極く薄くて卵鏃模様などで華やかに飾られている。コリント式ではアバクスの形も複雑になっている。

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