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アクロポリスの丘の周辺
 
 
 
 

 パンアテナイア祭の道、トライポド(三脚杯)の道 及び アクロポリスの丘のペリパトス Peripatos(訳注 488)の道

○ アクロポリスの丘に通じる道が 二つあって、その一つはパンアテナイア祭の道であり もう一つはトライポドの道である( page 37,図 01 参照)。このパンアテナイア祭の道という呼び名は、アテネの一番華々しい祭典である パンアテナイア祭に由来している。騎馬者たちとアテ−ナ女神の女神官たちとが このパンアテナイア祭の先導をしていて、この祭典の聖なる行進に加わった大勢の人々が この道を進んで行ったのである。女神官たちは エレクテイウム神殿に安置されていた 礼拝像に着せることになっているベ−ルを保持していた。

○ この道には 石が綺麗に敷き詰められていて、騎馬者たちも 二輪戦車も近付けるようになっており、ケラメイコスのデイピュロンの二重門の所で始まって アゴラ(公共広場)のオデイオン(奏楽堂)と アッタロス一世 AttalosT(訳注 489)のストア(柱列歩廊)との間に  12 神の祭壇が建っている所にある バシレイオス Basileios(訳注 490)のストアを通り過ぎて、パンタエノス Pantaenos(訳注 491)の文庫の前を通り、上り斜面を上って クレプシュドラの泉の前で終わっている。このパンアテナイア祭の道は、この地点で アクロポリスの丘の<ペリパトス>の道と合流していた。
○ トライポド(三脚杯)の道が第二の道で、トライポドを上に載せた 夥しい数のコレイガス choragos(訳注 492−合唱団長)の記念碑がその全長に亘って置かれていたことが その名の由来となっている。古代アテネでは一番賑やかで 一番雑踏している道の一つであり、アゴラの中心からデイオニソス神の劇場に到る 最短の経路である。
○ トライポドの道は <プリュタネウム>(ギリシャ都市の元老院の建物で、時には公式の食堂でもあった。)の建っている所で始まり、アクロポリスの丘の麓の北と東を走って 南に回り、ペリクレスのオデウムの傍らを通って デイオニソス神の劇場の所に到っていた。

○ リュシクラテスの記念碑( page 37,図 01 - No.1)は コレイガス(合唱団長)記念碑の中では一番綺麗で 一番良く残っているものの一つであって、今でもこのトライポドの道にあるのが見られるが、これは合唱団長のリュシクラテスが B.C. 344 年に 劇場で合唱団の勝利を獲ち得た後で、建てたものであった。この記念碑は、三つの段の<クレピドマ(基段)>の付いた 石灰石で出来た四角くて丈の高いポデイウム(基壇)の上に建っていた。この建造物は円柱状で、てっぺんには ギリシャのコリント式 Corinthian(訳注 493)柱頭が今でも付いており、三角形をした柱頭があって ブロンズで出来ているトライポドを上に載せて これを支えていた。

○ この記念碑の円柱状の本体には ア−キトレイブ(軒縁)とフリ−ズの付いた円形のエンタブレイチュア(長押)が上に乗っており、高さが 3.55 m.あるコリント式の小さい円柱が 6 本 片側だけくっ付いて この円柱状の本体に取り付けられていた。フリ−ズ上に彫刻されている浮き彫りは、デイオニソス神の生涯からとった場面を描いたものであった。

○ ペリパトスの道は アクロポリスの丘と直接に接続し、丘の周りをぐるっと一周して取り巻いている 第三の道であった。このペリパトスの道は 丘の北と南の斜面の所では その峻しい岩山の正にその真下を より上の高い所で巻いていた。アクロポリスの丘の 北東端を通り過ぎて、ペリクレスのオデウム(奏楽堂)とデイオニソス神の劇場の所で この道は終わっていた。デイオニソス神の劇場から アスクレピエイオンの前にも行けたし、エウメネス二世王のストア(列柱歩廊)の北側沿いに進むと ヘロド・アッテイコスのオデイオンにも行けた。アテネの都市計画についての専門家である 古典学者のジョン・トラヴロスが計算した所では この道の一周の長さは 1100 m.であった。

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