◎ アスクレピオス神の社 ( page 37,図 01 - Nos. 12 - 17)
○ アスクレピオス神の社のあった位置は、<ペリパトスの道>と アクロポリスの丘の南斜面の峻しい岩山との間にあり、デイオニソス神の劇場のカヴェアの北西端の所に 隣接している。岩山にある窪みから 泉が流れ出ていて、アスクレピエイオンの創立とその果たす役割の中で これは欠くことの出来ない要素となっている。
○ B.C.420 年の後になって この神の崇拝がアテネに持ち込まれて来た時に、アカルナイ Acharnai(訳注 514)のテレマコス Telemachos とかいう人物が このアスクレピオンを創設したもので、グル−プになった建物で出来上がっている。即ち;
a) この神の神殿( page 37,図 01 -No.12)の面積は 10.40 x 6 m.の大きさで 簡素なケラ(神像安置所)を持っていた。テトラスタイル(四柱式)の東正面には 祭壇( page 37,図 01 -No.13)が前面に付いており、ケラのずっと奥の端にあ る台座の上には アスクレピオス神とヒュギア女神との彫像が立っていた。
b) 2 階建てで 面積が 49.90 x 9.75 m.の大きさを持つストア( page 37,図 01 - No.14 - 列柱歩廊)が <エンコイメテリオン enkoimeterion>の役割り つま り病人の一時的な宿舎の役割りを果たしていたもので、その位置は 神殿の北側で あった。ストアは 内側にイオニア式の柱廊があり、風変わりなスタイルをした正 面には ドリア式の円柱が 17 本立っていて、北面の壁に手で刻んだ洞窟のような 円形の区画に通じる入口が 背後に付いており、泉の水がその区画から流れ出て いる。今日ではこの洞窟は 西暦紀元の初期の間 アイル(側廊)が 3 つ付いた 大型のバシリカの付加物、恐らくは洗礼室となった礼拝堂であって、このバシリカ は アスクレピエイオンの区画全体を引き継いだものであった。
c) このストアの北西端の位置には 入口が南側に付いた四角い部屋( page 37,図 01 - No.15)があり、直径 2.70 m.深さが 2.20 m.の 丸い<ボトロス(犠牲の落 し穴)>がそこに付いていて、犠牲物の遺骸が その中に投げ込まれた。
d) 28 x 14 m.の大きさの面積を持った 所謂イオニア式のストア( page 37,図 01 - No.17)と呼ばれる長方形の建物の位置は、四角い部屋の西側にあり、そのず っと奥の端には部屋が 4 つ隣り合っていて、正面にはイオニア式のコロネイドの 付いたストアがあった。この建造物は神殿とか 二階建てのストアとかより後年に なって建てられたもので、エンコイメテリオン又は病人用の宿舎として用いられた。
e) 最後の建物はストア( page 37,図 01 -No.16)で、アスクレピオス神の神殿の 方に向かって開放されており ロ−マ時代に加えられたもので、その背面の壁は 祭域の南側沿いに ずっと走っていた。
○ ロ−マ時代のストアの西側 丁度ペリパトスの道との境目の所に、入口門の建っているこのアスクレピエイオンの建物の 入り口が付いていた。
◎ アルキッペの泉、テミス女神の神殿及び<ヒポリュテリオン>の建物
○ 丁度ア−ケイック期の年代に 既に噴水の型をしていた泉( page 37,図 01 -No.18)があった位置は、このアスクレピエイオンのイオニア式のストアの西にあった。今日見ることが出来るのは 凡そ 3 m. の深さの四角い井戸状の窪みと 3 x 2.70 m.の面積の大きさを持つ 縁だけである。この井戸状の窪みは 多角形の石造りで出来ていて、噴水の水盤層を構成するものである。この噴水が ニンフのアルキッペに奉献されたものであることは 大体間違いがなく、アクロポリスの丘のこの斜面上で行われた 伝統的で有名なニンフの崇拝は、この事実と うまく平仄が合っている。このアスクレピエイオンの建物が創建された時、このア−ケイック期の噴水が 暫くの間既に用いられていた。噴水に取り付けられていた タイルのカバ−の付いた水槽が その傍らで出土し、ずっと南の方にも水槽がもう一つ 今でもあるが、どちらも 中世期に作られたものである。
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