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アクロポリスの丘の周辺
 
 
 
 

○ ヘロド・アッテイコスのこのオデイオンは ロ−マ帝政期の劇場の 既定の定型的な建築スタイルに従って、アムピシアタ− amphitheater(訳注 516)の型式をとって建てられている。このことは 隣りにあるペルクレスのオデウムとは 著しい対照を示しているものであった。このオデイオンのカヴェア(観客席)の直径は  75 m.であり、その半円形のオ−ケストラの直径は  19 m.である。劇場のスケ−ネは 3 階建ての高さで、その上に文字通り喋舌る場所を意味する <ロゲイオン logeion(訳註 517)>が含まれていた。スケ−ネの長さは  92 m.で、正面の所の高さは 凡そ 28 m.であり、ロゲイオンの高さは  1.10 m.であった。

○ このオデイオンには 屋根が懸かっていて、そのカヴェアさえも含めてそのすっかり全部を この屋根が覆っていたということは、大いにありそうなことである。屋根には ヒマラヤ杉の木材が使われており、この全体の構成は 豪華なものであった。壁には 大理石の線が入っており、構築物の建築的な細部やスケ−ネの彫刻の飾りにも 飾りになったニチュ(壁龕)の前にあるプロスケニオン(舞台)の円柱にも カヴェアの座席の構築にも、同じ材料石の大理石が使われていた。

○ このオデイオンのカヴェアには アムピシアタ−の上の真ん中の所に デイアゾマがあって 2 つに分けられ、下半分はどれも 列が 20 付いた区画が 5 つ、上半分はどれも 列が 14 付いた区画が 10 出来ていて、凡そ 6000 人の観客が着席出来た。

○ もともとこの劇場に来る道とその入口は 東から来るようになっていたらしく、つまりは エウメネス二世王のストアの一階からも 更には又カヴェアのデイアゾマに直接通じる道として使われていた このストアの二階からも、来れるようになっていたらしい。後年になって 改造が行われ、このオデイオンにやって来る主な道は 南から つまり建物の正面からとなったことが、最近の発掘調査で判って来た。

○ オデイオンとエウメネス二世王のストアとが 構造上も関連しており、連続していて途切れることのない 機能上の関連があるのを見ていると、このストアは デイオニソス神の劇場用として作られたものではなくて、300 年も後になって実際に構築された ヘロド・アッテイコスのオデイオン用として作られたものであるという印象がする。
○ <ヘロデイオン Herodeion>の名で 今日知られているこのオデイオンは 改造工事が施され、大理石の座席が そのカヴェア用として備え付けられ、古代ギリシャ劇の興行や 音楽のリサイタルや コンサ−ト用として使用されている。

◎ アクロポリスの丘の南西端にあった社

○ <パンデモス・アフロデイテ女神>の崇拝が アクロポリスの丘の西端で行われていて、B.C.6 世紀の終りまでに 既に常設のものとなっていたことは 最近の発掘調査で明らかになっている。この女神の社のあった位置は 平らな区画上であり、ニケ女神の神殿の立っている土台石の 正確に真下の所で その区画を見出すことが出来る筈である。小さい神殿の土台石に使われていて 地表上に見ることが出来る彫り込みとか、垂直に切り立った岩山の表面に付いている 彫刻で飾られたニチュ(壁龕)とか、彫り込みの付いた 大理石のア−キトレイブ(軒縁)とかがあって、そこにある彫り込みで <………尊敬されている偉大なアフロデイテ女神>と名付けられ、その名で呼ばれているアフロデイテ女神の神殿が存在していたことが、確証されている。アテネの人々はこのパンデモス・アフロデイテ女神を 大変な敬意を払って崇拝したと パウサニアスが伝えており、有名な彫刻家たちが作って 女神の社に奉献した彫像が幾つか、この地で出土して来ている。

○ パンデモス女神の社の近くの 後年になって今あるプロピュライアの入口門が建っている区画は、ブラウテ Blaute の社や 自分の祭壇が別々に付いているガイア・コウロトロフオス女神 Gaia Kourotrophos とデメテル・クロエ女神 Demeter Chloe(訳注 518)との共通の祭域( page 37,図 01 -No.25)に献げられたものであったに違いないことが、文学上のより所や彫り込みに見られる証拠で確証されている。

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