ttl120
 
navi
 
sitemap
図版ページ
 
アクロポリスの丘の周辺
 
 
 
 


 アクロポリスの丘の北斜面にあった社

◎ クレプシュドラの泉

○ もとはエムペド Empedo の名で呼ばれていた<クレプシュドラの泉>( page 37,図 01 - No.26)のあった位置は、アグリッパスの記念碑の北側にもっと遠く離れた アクロポリスの丘の西の端の所であり、パンアテナイア祭の行進ル−トの最終の部分が終わる 正にその地点にあった 天然の小さい洞窟の中にあった。水の湧き出て来ているこの洞窟でも 他の洞窟でも、ニンフたちが礼拝されていた。B.C.5 世紀になると、この泉は 7.80 x 6.70 m.の面積を持った構築物の形に作られ、4.50 x 2.23 m.の面積の大きさを持った水盤が 岩山を刻んで彫られており、この噴水の北側と東側を  18 x 9 m.の面積を持つ 舗装した内庭が取り囲んでいた。

○ B.C.3 世紀になって ヘルリアンの人々が侵入して来た後のことに殆ど間違いはないが、プロピュライアの入口門の下方に 空地が形作られて 整理し直された時と同時に、このクレプシュドラの泉の方に下って行く 段が 69 付いた階段が作られた。この下り道は アグリッパスの記念碑の北側の所で始まって、壁面の真下を通り過ぎている。
○ 聖アポストルス Holy Apostles(訳注 519)に献げられた教会が、中世期に このクレプシュドラの泉の区画に立てられた。その時までに 井戸状の窪みとなってしまった噴水は、この教会の内部に 包み込まれてしまった。

◎ アポロ神、ゼウス神及びパン神の社

○ クレプシュドラの泉の近くにその位置を占める 聖なる小さい洞窟 3 つは、数が同じ 3 つの神々に奉献されたものである。クレプシュドラの泉の洞窟に一番近い洞窟は <ピュテイオン Pythion>と呼ばれていたもので、アポロ神の社(page 37,図 01 - No.27)であったに違いない。この洞窟でアポロ神は エレクテウスの美しい娘の クレウサ Kreousa(訳注 520)と一夜を共にしたと 伝説が伝えている。パウサニアスはこの祭域のことを <洞窟の中にあるアポロ神の社>と呼んでいる。

○ 第二の洞窟の<オリムピオン Olympion( page 37,図 01 - No.28)>の中では オリムピアのゼウス神が礼拝され、同様に岩山の中に隣り合わせになった もう一つの窪みの中にある 第三の洞窟( page 37,図 01 - No.29)では、どんなに早くても B.C. 5 世紀の初期には 恐らく パン神とニンフたちが礼拝されていた。

◎ アフロデイテ女神とエロス神の社

○ アフロデイテ女神とエロス神の社( page 37,図 01- No.30)のあった区画は、この岩山の北側の麓 エレクテイウム神殿の北側の境界の真下の所で、ミュケナイ時代に作られた階段の近くに 定められていた。この社は 少し典拠の疑わしい<アレポロスたち>の儀式との間に 密接な関連があり、彼女らは この目的を達するため 人目に触れない通路を通って アクロポリスの丘の上にある オイコス oikos(訳注 521)と呼ばれる自分たちの住居と 行ったり来たりしていたのである。

◎ アグロウレイオン

○ アフロデイテ女神の社の西の方に その位置があった社がまだもう一つあったと パウサニアスが言及しているが、この社が<アグロウレイオン>の建物( page 37,図 01- No.31)であり、ケクロプスの娘の アグロウラスの礼拝に奉献されたものである。アテネの若い男がこのアグロウレイオンによく出掛けて行って、この土地を防御し その軍隊に恥辱を齎らすことのないよう 誓約したものである。

◎ アナケイオン

○ この<アナケイオン>( page 37,図 01- No.32)は カスト−ル Castor(訳注 522)とポリュデウケス Polydeukes(訳注 523)との 2 人の兄弟のデイオスクロイ Dioscouroi(訳注 524)に献げられた社であって、その位置も亦 この岩山の麓にあり、アグロウレイオンの南の方にあった。

( 138 )

 
    next
space各ページへのダイレクト・リンク