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アクロポリスの丘のその後の変遷
 
 

(訳注 488) ペリパトスの道 Peripatos  ( page 37 図 01 参照)
アテネのアクロポリスの丘の北と東の 峻しい岩山の真下を 可成り高い所で取り巻いていた道で、長さが 1100 m.あり、丘の北西にあるクレプシュドラの泉の北側で パンアテナイア祭の道と分かれて 東に走り、デイオニソス神の劇場の所で終わっていた。

(訳注 489) アッタロス一世 Attalos T
B.C.269 - 197 年。エウメネス一世 EumenesTの子で、ペルガモンの王(在位 B.C. 241 - 197 年)。ガラテイア人 Galatia を撃退し 救主(ソテル Soter)と呼ばれた。小アジア全域を支配し、ロ−マの対マケドニア戦争には 同盟者として協力して、王国の強化を図った。文芸を愛好して 庇護した。

(訳注 490) バシレイオス Basileios
アリウス派 Arius 問題の解決に尽力した ギリシャ教父で、<カッパドキア三星>の一人である。カッパドキアのカエサレア Caesarea の 富裕な名門の生まれで、世俗の名声を捨て 修道生活を志した 本質的な求道者で、<大バシレイオス>と呼ばれ、東方教会では<修道生活の父>として 特に敬意が払われている。

(訳注 491) パンタエノス Pantaenos
A D 1 - 2 世紀頃から 8 世紀辺りまで活動し、著作活動によってキリスト教会とその信者たちを指導した人々を教父と呼び、アテネ、カルタゴと並びその教父哲学の中心であったアレクサンドリアの問答学校の 2 世紀終り頃の校長で、200 年頃に死亡した。

(訳注 492) コレイガス choragos
アテネのデイオニソス神の祭の合唱団を 自費で 維持訓練した市民をいう。合唱団は ギリシャ劇に 音楽的に重要な役割を果たしたもので、三大詩人の時代には 略々 12 -15 人で オ−ケストラと呼ばれる円形劇場の 中心部に位置して、歌と踊りを交えつつ 前進して句節を、後退して対句節を歌った。

(訳注 493) コリント式 Corinthian
ドリア式、イオニア式と並んで ギリシャ建築の三大オ−ダ−の一で、イオニア式の変形である。ア−カンサスの葉をモチ−フとした柱頭が 特徴的で、他のオ−ダ−に較べて 装飾的意図が強い。

(訳注 494) エレウテラエ Eleutherae
アッテイカとボエオテイアとの間に横たわるキタイロン Kithairon 山脈の中にあった地で、ゼウス神とアンテイオペ Antiope との間に 双生児アムピオン Amphion とゼ−トス Zethos とが ここで生まれた。

(訳注 495) バッカス Bakchos
ギリシャの酒神デイオニソス(訳注 217)のラテン名で、ギリシャでも時に デイオニソスが<バッカス>の名で 呼ばれることもあった。リュデイア語 ?か。

(訳注 496) 大デイオニソス祭 Dionysia
酒神デイオニソス(バッカス)の祭。アテナイのものが最も有名で、 12,1,2,3 の各月に行われ、3 月のものが最も盛大。ペイシストラテスが定め、神像を戦車に載せて行列し、アクロポリス南麓のデイオニソス劇場で悲劇と喜劇の新作が 3 日間競演された。

(訳注 497) エスキュロス Aischylos
B.C.525/524 - 456 年。アテネの三大悲劇詩人中最古の人で、エレウシスの神官の一族の出である。二人の俳優に対話させて悲劇の形式を改良し、内容も高めて真の悲劇を創造した。作品は宗教性に充ち、超人的英雄が登場する。度々シシリ−島に赴き、ゲラ Gela で死んだ。(7 編が現存し、<ペルシャ人><オレステイア>三部作が有名)

(訳注 498) ソフオクレス Sophocles
B.C.497/496 - 406/405 年。アテネの三大悲劇詩人の一人で、3 人目の俳優を始めて用いて 悲劇を技術面でも完成し、超人的英雄ではなく 人間味を帯びた人物を描いて 技巧的に完成した <アンテイゴネ>などの作品を作った。アテネの西郊のコロノス Kolonoi に生まれ、幼時より 音楽と体育に秀で、政治面でも 将軍やデロス同盟の財務官の要職に就いた。

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