(訳注 532) カリグラ Gaius Julius Caesar Germanicus
( Caligula )ロ−マ帝国第 3 代皇帝。A D 12 - 41 年。在位 AD 37 - 41 年。残酷な独裁政治を行い、恨みを買って暗殺された。
(訳注 533) ビザンテイウム Byzantium ( page 41 図 04 参照)
ボスポラス海峡 Bosporus の左岸にあって 黒海の入り口を制する要害の地で 古代ギリシャの植民地。330 年コンスタンチン大帝は この地をロ−マ帝国の国都と定め、コンスタンチノ−プル Constantinople と呼んだ。395 年に帝国が二分して以来 東ロ−マ帝国の首府となった。今はイスタンブ−ル Istanbul という。
(訳注 534) コンスタンチン大帝 Constantine the Great
Flavius Valerius。ロ−マ帝国の皇帝。AD 274? - 337 年。在位 AD 324 - 337 年。306 年副帝となり 324 年全ロ−マの独裁君主となる。330 年都をビザンテイウムに移して コンスタンチノ−プルと改名。官僚制度の整備や身分・職業の固定化を行い、帝国再建を図った。313 年ミラノ勅命で キリスト教徒を保護した。
(訳注 535) テオドシウス二世 TheodosiusU
ビザンチン帝国の皇帝。A D 401 - 450 年。在位は 408 - 450 年。アルカデイウスArchadius の子で ゲルマン民族の侵入に苦しんだ。学芸を保護し 438 年に<テオドシウス法典>の編纂を行わせた。文人肌で性格弱く 治世に見るべきものはない。
(訳注 536) ハギア・ソフイア Hagia Sophia
<聖なる智>の意。325 年に 東ロ−マ帝国のコンスタンチン大帝が 古典古代建築の完成型と考えられている イスタンブ−ルの同名の大聖堂を ハギア・ソフイアに献じた。この大聖堂は 代表的な初期ビザンチン建築である。
(訳注 537) バシル二世 BasiliusU
A D 958 頃 - 1025 年。東ロ−マ皇帝で 在位 963 - 1025 年。2 才で帝位に就き 長じて実権を握ると 内政を整え、 50 年間の遠征で 周辺諸国を平定して 版図を拡大した。ロシアにビザンツ文化を導入し、小アジアの豪農階級(デナイト)を破壊して 零細農の生活向上を計り、教会の財産に課税した。
(訳注 538) オトン・デウ・ラ・ロシュ Othon de la Roche
AD 13 世紀前半に、フランク族を率いて フランスからアテネとテ−ベ地方に進攻し、アテナイ侯国を作り ペロポネソス半島の十字軍従軍によるモレア王国 Morea と共に ギリシャのラテン人国家を設立したが、何れも短命で、アテナイ侯国は 1311 -1387 年の間 カタロニアの傭兵団による一時的支配を受けた後、フイレンツエの銀行家一族の手に移った。
(訳注 539) ネリオ・アッチアジュオリ Nerio Acciajuoli
フイレンツエ出身のコリント領主で 1388 年にカタロニア人とアラゴン人 Aragon による支配を屈服させ、 1391 年サボイアのアメデオを アカイア公 Achaea として認めて 自らを<コリント・アテネ及びネオパトラス公国 Neo Patras の領主>と称した。アッチアジュオリ家による この公国の支配は、1456 - 58 年のオスマン・トルコによる征服まで続いた。
(訳注 540) ハレム Harem
トルコ語で <出入禁断の場所>の意。特にイスラム世界では 家屋内の婦人専用の部分を意味する。
(訳注 541) ド−ジ doge
古代のヴェネチア共和国 Venetia( 697 - 1797 年)とゼノア共和国 Genoa( 1339 - 1797 年、1802 - 1805 年)の総督。
( 147 ) |