○ クラシカル期には、アクロポリスの丘は プロピュライアの入口門から始まっていて、擁壁の囲いの外側は 土と岩石とが剥き出しの 自然のままであった。ロ−マ年代に入ってから この岩が舗石で覆われ、古くからある建物と 余り似つかわしいとも思えない建造物が付加されて、アクロポリスの丘は 段の麓の所から始まることに変わっている。
○ 昇り道は N字形に付いていて、アグリッパスの台石の所で 先ず南に回っている。更にアテ−ナ・ニケ神殿に通じる 小さい階段の所で再び曲がって、プロピュライア入口門の中央に通じている。ムネシクレスの作った広い入口門は A D 1 世紀の中頃まで変えられないで残っていたが、ロ−マ年代に入って クラウデイウス一世 Claudius T(訳注 352)の治世期になると、プロピュライア入口門の直ぐ下に 大きい大理石の階段が付けられた。ギリシャ人は 緩やかな勾配のジグザグ道を好んだが、ロ−マ年代は対照的に 堂々たるバロック baroque(訳注 353)式が好きであった。この大理石の階段は 入口門の真下にある平面に 斜めに傾いた平面の 文字通り幅一ぱいを覆うもので、上下 2 つの部分に分かれていて、真ん中の所には 踊り場があったし、左右にも2 つに分かれていて、その中央の部分は 舗石で覆われており、動物の昇り道になっていた。このもとあった大理石の段の中で 現存しているものは、全体の中で今日では たった 4 段だけであって、その正確な位置は ブ−ルの門の内部にある。 1837 年に考古学協会が設立された後になって、ニケ女神の高台の側に この階段の他の段から集められた材料石を使って ピッタキ Pittaki の段と呼ばれる 狭い階段が新しく作られ、プロピュライアの入口門に通じていた。
挿絵 03) アクロポリスの丘の上の建造物全景 |