○ この東西両面のポルテイコは 幅はどちらも 24 m.であるが、奥行きは 西側では 18 m.あるのに対して 東側の奥行きはずっと浅い。西側のポルテイコの正面には ドリア式の円柱が 6 本立っていて、中央の 2 本の間隔幅は この横に走った壁面の中央に開いている開口部の幅と 広さがぴったり符合していたし、東西の左右一番端に立っている円柱 2 本づつの軸線上には 側壁が出来ていて、この東西両ポルテイコの両横の境界線をこれが示していた。スリムなイオニア式の円柱が左右 3 本づつ 両正面中央にある 2 本の円柱と繋がって 二列に奥の方に向かって並んでいて、間に挟まった空間を 3 つに分けている。中央のインタ−コラムニエイション intercolumniation(訳注 371−柱間割り)は 幅が一段と広くて、行進とか 犠牲の動物とか 二輪戦車とかが出入りする通路を形作っており、両側に付いている歩廊とは対照的に 段がなく、スロ−プ状になっている。東側のポルテイコの敷石は 西側より 1.5m.許り高くなっていて、その間には 段が 5 つ付けられていた。この 5 つの段の最上段は エレウシス産の石で出来ていて、壁面の土台になっていた。
○ 東側の奥行きの浅いポルテイコも亦 その正面に 高さ 8.53 m.の円柱が 6 本立っている ドリア式のヘキサステユレ hexastyle(訳注 372)タイプで、敷石が西側より高いことと対応して 屋根も当然高かった。西側のポルテイコの屋根は、一方の奥の方では 中央の開口部の両端沿いに 高さ 10.39 m.の極端に丈高のイオニア式円柱が 3 本づつ縦に配列されている この計 6 本の円柱が作り出した コロネ−ド(柱列廊)2 つに支えられ、他方の正面側では 高さが 8.81 m.の西側正面の 6 本の円柱で支えられている上に、 6.70 m.幅の大理石で出来た 一本石の梁も付いていた。東西両正面では 屋根が破風の形をとって終わっていたし、東側ポルテイコの傾斜した屋根は 西側の屋根の上に被さって、厚板で覆われた三角小間のテユムパナム tympanum(訳注 373)が出来上がっていた。つまり このプロピュライア入口門の屋根には 破風が 3 つあり、その内の 2 つは西正面を向き、第 3 のものは東正面を向いて付けられていたのである。東正面の北東隅に残っている エンタブレイチュア entabrature(訳注 374−長押)の一部は、サイマ− sima(訳注 375)と共に その保存状態が極めて良い。
○ 東西にあるこの 2 つのポルテイコには、どちらもその天井に 彫り込みの付いた美しいコフア− coffer(訳注 376−格間)の装飾があり、その中心には 金色の円花飾りと数多くの星形飾りとが 青の地色の上に付けられていた。エレウシス産の石で出来た 大きい壁面土台石の青い色が このコフア−とイオニア式の柱頭の色彩とに良く調和して、芸術的な美しい彩りを作り出しており、この青い土台石は 恰かも壁面に取り付けられたベンチでもあるかの如く見える。ア−キトレイブ architrave(訳注 377−軒縁)の上に載っている 東西両側面のポルテイコのフリ−ズと破風とには、どちらも装飾物は付いていない。
○ ポルテイコの内部に立っている円柱がイオニア式であるのは 理由があってのことである。この両ポルテイコの天井は、正面に立っている ドリア式円柱の上に載っているエピステユレ(台輪)の部分より 凡そ 2 m.程高い位置にある。円柱の方式が違うと 単にその装飾が違うというだけではなくて、その長さと太さとのプロポ−ションにも 厳密なきまりがあった。ドリア式では その長さは円柱基部の直径の 5 倍半と決まっていて、2 m.も長いこの円柱をドリア式にすると 基部もそれだけ太くならざるを得ないこととなる。その点イオニア式であれば このプロポ−ションは 10 倍半と決まっているので、2 m.長くても 基部の直径は 0.97 m.で済み、正面のドリア式円柱の直径 1.60 m.より 可成り細くすることが出来た。
○ ドリア式円柱は 元来がしっかりしていて 荘重であるのに対して、イオニア式の方は 丈長で軽快であり 優雅な感じがしていて、内部の円柱に適していた。この 2 つの様式が 一つの建造物の中で同時に使われ 見事な調和を示している古代の建造物が幾つかある中で、このプロピュライア入口門は その最上のものである。
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