○ 両翼の構築物
○ プロピュライア入口門の西正面の右と左に当たる 南北の両側には、お互いに向かい合った正面を持っている 左右対称の翼が 2 つ創られているが、西側を向いている中央のポルテイコの正面とは 方向が一致していない。つまり この両翼の建物はどちらも 中央のプロピュライア入口門に完全に従属してしまっているのである。
○ この両側の基礎岩面上には 同じように土台があって、段が 4 つ付いている。この 4 つの段の内の最下段は エレウシス産の青い大理石で出来ていて、岩面との区別が付き難い。中央正面と同じくこの両翼にも 基台床のステユロベイト stylobate(訳注 378)の上に ドリア式円柱が夫々 3 本づつ立っている。円柱も小さく 壁面も低く 台輪もフリ−ズも小さくて、破風は付いていなかった。中央正面の構築物のフリ−ズと破風と屋根とが この両翼の建物の屋根の上に 覆い被さっていた。
1) 北翼のポルテイコと画廊のピナコテカの部屋
○ 正面に向かって左側 つまり北翼の建物のある所で 基盤の岩石が丁度急に低くなっているために、多孔性石灰石(ポロス石)の腰壁が作られていて、北翼の建物の土台が その腰壁の上に載っている。この建物の西面は 両端に 2 本の壁端柱が立っていて その間は壁面になっており、正面にあったトリグリュフとメト−ペとが この壁面の上部の所まで 装飾となって続いて来ている。
○ この北翼の正面は 2 本の壁柱の間に小さいドリア式円柱が 3 本立った イン アンテイス in antis(訳注 379)の柱廊玄関で、立っている円柱は 等間隔ではない。3 本の円柱を 中央正面の 6 本の大きい円柱と 丁度繋がるようにする必要があったので、東側の円柱と壁柱との間の幅だけが 他の円柱間の幅より広くなっている。3 本の円柱の背面は 壁面になっていて、そこには コロネ−ド(柱列廊)の形になったポルテイコが出来ている。壁面には扉口が付いているが 壁面の中央ではないし、又扉の左右の 2 つの窓も 左右対称の位置に付いていない。
○ 壁面の奥には 幅 10.8 m.奥行き 9 m.の面積の大きい広間があり、この広間には 4 面すべてに 壁面の長さに沿って ベンチが付いていた。この大きい広間は有名な<ピナコテカの間>( page 37 図 01 - No.38)であって、木製の絵画を展示する他 アクロポリスの丘への訪問者が滞在したり 休息したり出来るよう意図したものである。窓がないので 柱廊玄関との間の壁面の扉と 2 つの窓から 光線が入って来ていた。絵は恐らく、窓の上部の辺りで 広間の内部をぐるっと回って飾りになっている 青の大理石の線の上か、大理石の上に直接にか 又は壁面を覆っていたと見られる軽い漆喰の上に、壁画として 描かれていたものと見られる。パウサニアスが <絵画のある建物>と呼んでいるこの広間で、多くの絵画の中に ポリュグノトスの描いた有名な作品の <スキュロス島 Skyros(訳注 380)に居るアキレウス Achilleus(訳注 381)>の画があったと伝えている。ここにあった絵や壁画は 女神に対する献納物であると同時に 優れた芸術作品であった。
2) 南翼のポルテイコ
○ プロピュライア入口門の右側 つまり南翼の建物は、ニケ・ピュルゴスの高台の岩盤の上に建っていて、土台はない。この建物の西側には 北翼に対応するような壁面はなく、従って北と西向きは明け開げであった。西側に建てられている アテ−ナ・ニケ女神の神殿に行く通路に当たっていて、その妨げになる壁面は 作りようもなかった。
○ 北翼の画廊の前面にあるポルテイコと向き合って 南翼にもポルテイコがあり、2 本の壁柱の間に ドリア式の円柱が 3 本立っている。併し北翼の画廊に対応する部屋が 南翼にはなかったので、円柱の背面の壁には 窓も扉も付いていない。しかもこの壁面は 3 本の円柱の内一番西の端の円柱と 向かい合った辺りで止まっていて、更に西にある壁柱の背面の所までは 延びていない。このため 最西端の壁柱は 何もない所に立っていて、柱列とは 上部の台輪とフリ−ズで繋がっているだけである。このポルテイコの奥行きは 北翼のものより深い。このように 南北 2 つの翼部の建物は、明らかに対称的になっていない。
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