ttl120
 
navi
 
sitemap
図版ページ
 
アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
 
 

○ 東正面では 円柱の背後に壁がなくて、開け放しであった。四角い形の 壁端柱のアンタが 2 本あって、その間に立っている 2 本の門柱が  1.50 m.の幅のある中央の入口を形作っており、両側の門柱とこのアンタとの間には ブロンズの金網があって、前に閉じられている。長方形の開口部が 2 つ この中央入口に付いていて、礼拝像が安置されていた小さいケラの部屋には 光線が自由に入り込んでいた。背後の西正面では東面と違って 円柱の後ろに壁面が付いていて、奥行きの浅いポルテイコを形作っているが、それでも両端にあるアンタが 前面に立っている 4 本の円柱と 良く調和しているというだけのことに過ぎない。

○ 一本石の円柱は 高さが 4.07 m.あるにしては 幾分ほっそりして見えるし、その上柱頭の幅が 円柱に対して少し広過ぎるようであって、そのために この神殿の丈が他のイオニア式神殿より 幾分低く見えている。恐らく 円柱と柱頭とは B.C. 448 年に既に出来上がっていて、後でこの神殿を建てる時になって それが使われたものであろうと思われる。正面の円柱と両側のアンタの上には イオニア式のエピステユレ(台輪)が載っている。3 本の帯状の石から出来ていて、上のもの程少しづつ だんだんと突き出ており、この台輪の上は 浅い浮き彫りの付いたフリ−ズ(小壁)になっている。屋根は両側面に傾斜し 東西の両面には 破風が出来ていたが、何れも今は残っていない。

○ この神殿の東面の前に 神殿の入口と向かい合って 年代が幾らか新しい この女神の石で出来た第 3 の祭壇が立っていたが、今では 大理石の裏張りの厚板の一部が残っているだけに過ぎない。神殿の周りには 大理石の敷石が敷き詰められていた。

○ 殆ど正方形に近い形のこの神殿は 高台の西端に聳え立ち、アクロポリスの丘に昇って来る人が見上げた時、その軽快で神聖な姿が 一目で捉らえられた。アクロポリスの丘の正面の 入口門の厳格さを和らげる 上品な感じの建造物であって、現在でも屋根が欠けているだけで ほぼ完全な姿で残っていて、それ自体が恰かも勝利に女神に捧げられた 芸術的な 戦勝記念のトロフイ−であるかの如くである。

○ フリ−ズの浮き彫りと破風の彫刻

○ 2 つあるコロネ−ド(列柱廊)の上と ケラの壁面の上とには、3 つの部分に分かれている イオニア式のア−キトレイブ(軒縁)が 水平に並んで配置されて載っており、高さが 0.45 m.で 長さが 25 m.にも及ぶ帯状彫刻の <ゾフオロス zophoros>(訳注 388)が この神殿を取り巻いて飾っている。この浮き彫りは 破損が著しいが、パルテノン神殿の浮き彫り彫刻とは違っており、むしろエレクテウム神殿にあるフイデイアス以後の作品に より類似した点が見られている。

○ 東面のゾフオロスの彫刻装飾に描かれたテ−マは オリムポス山の神々で、中央にゼウス神とアテ−ナ女神とが 王座に腰を掛け、その周りに ポセイドン神をはじめ諸々の神や女神たちが集まっている。どちらかと言えば 幾分静的な特色を強く感じるのは、神々の直立した姿勢に因るものであろう。他の 3 面に描かれたテ−マは ペルシャ軍との戦闘中に見られた 歴史上の場面であって、西面には  B.C. 479 年のプラタエアの戦闘が 流動的な特色を持って描かれており、ここではボエオテイア地方の人々が ペルシャ軍の側に加担して、アテネ軍と戦っている。ギリシャ人が ペルシャ人と許りでなく、ギリシャ人同士で戦っているというこのような場面は 滅多に見られるものではない。旧トルコ政府 the Sublime Porte に派遣された 英国の大使であったエルギン卿 Lord Ergin(訳注 389)が 南面のゾフオロスの彫刻品の大部分をかっ攫ってしまったために、今では本物は大英博物館に展示されていて、ここにあるのは 摸刻品である。もとあった場所に残っているのは、その東面の彫像だけに過ぎない。

○ 水平になった軒蛇腹のコルニス cornice(訳注 390)の上に 孔が幾つかあいているのが見られることからも判るように、この神殿の両破風にも 嘗ては彫像が付いていたが、その画題とかテ−マとかに付いては 何一つとして判っていないままである。

( 079 )

 
    next
space各ページへのダイレクト・リンク