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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
 
 

○ <エンタシス>はドリア式のこの円柱が凹面の中窪みになって見えないよう 円柱に加えられた僅かな凸面の中膨れカ−ブであって、基部から 2/ 5 辺りで円柱が幾らか膨らんでいるのが特徴であり、そこから上部では 円柱の直径はだんだんと細くなっていて、しっかりと曲げた腕の筋肉にも似た躍動が ここでも見られている。美学的にプラスになる結果を齎らすことの出来るよう このパルテノン神殿の創設者たちは、洗練された建築上の解決法を他にも幾つも作り出している。既述の柱列が内側に傾いて 神殿の中央に向かって円柱が集まっていることとか 四隅の円柱の直径だけが 他より太いこととか その円柱だけが柱間距離が狭いこととかに加えて、フリ−ズのメト−ペのサイズも 中央から両端に向かってだんだんと小さくなっていた。

6)  エキナス echinus(訳注 412−饅頭形柱頭)

○ 円柱の上部にはエキナスが付いており、このエキナスとエンタブレイチュア(長押)との間には アバカス abacus(訳注 413−頂柱板)と呼ばれる厚板が挟まっていた。
○ ずっと古代のドリア式神殿では、円柱の高さはその直径の 4 倍ということになっていて 円柱は太くて短く、エンタブレイチュアの高さも 円柱の高さの半分もある幅広のもので、そんなことから 全体のプロポ−ションが非常に重厚であった。併しこのパルテノン神殿では 円柱の高さは 10.433 m.で 円柱の基部の直径の 5.5 倍となっており、エンタブレイチュアの高さも 円柱の高さの 1/ 3 に過ぎない。このように調和の採れたプロポ−ションを持っているお蔭で 上部の重みはそれだけ小さくなっていて、この神殿のエキナスも ア−ケイック期の神殿のものに較べて その形がずっと自由で、曲線を楽に描いたものになっている。このことは その年代の人々の環境とか 考え方とかの違いを反映しているのであって、ア−ケイック期には意見が対立し その間に幾つもの運命的な反目が見られたのに対して、このパルテノン神殿が建てられた年代には 対立は見られなくなっており、宗教として見ても 畏怖から倫理へ発展していることに対応しているものと言えよう。

7)  神殿の屋根

○ パロス島産の大理石のタイルが この神殿の屋根を覆っていて、その屋根の軒端は 大理石で出来た飾り瓦になって 終わっていた。神殿の長い方の両側面には 大理石で出来た 排水溝の<サイマ−(冠刳形)>があり、雨水が側面にだけ流れ落ちるようにする 水路になっていた。破風の四隅には 獅子の頭部が 4 つ置かれてあったが、排水口がないので 水の出し口ではなくて、只の飾りであった。北東と北西の 2 つの頭部像は 今でも残っている。

○ 神殿の短い方の両端面は どちらも破風になって終わっていて、東西のこの両破風にはその頂点と両隅に 高さ 3 m.にも及ぶ大理石で出来た 巨大な植物模様の付いた透かし彫りの 華麗な<アクロテリア acroteria(訳注 414)>の飾りが付いていたが、現在ではどれ一つとして残っていない。

○ メト−ペの浮き彫り

○ 神殿のエンタブレイチュアの上では 4 面すべて メト−ペとトリグリュフとが一つ置きに並んでいて、東西の両端面では 夫々 14 ケと 15 ケ、南北の両側面では 夫々 32 ケと 33 ケが付いていた。メト−ペは高さ 1.37 m.幅 1.27 m.の大きさの長方形の厚板で、 92 の何れも異なった構成を持っており 夫々に 2 人の人物像か 又は人間と獣とのグル−プ像が浮き彫りで 厚板一ぱいに描かれていた。すべて神話や伝説から採って来た 使い古しのテ−マ許りが描かれていたが、自らの国土と自らの自由とを脅かそうとした敵と戦って ギリシャ人が勝利を収めた過去の戦闘とか より最近の戦闘とかを象徴化し、これを人々に想い起こさせようとして、テ−マが選ばれたものであった。このメト−ペは神殿のエンタブレイチュアの上高く 見透しの良い場所に置かれていて、下からも良く見ることが出来た。B.C.440 年に完成したこのメト−ペの浮き彫りは フイデイアス自身の彫刻作品であるという特徴を 必ずしも具えていなくて、多くの彫刻家たちの手で彫られたものと見られており、その芸術的な価値は まちまちである。

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