○ パンドラ Pandra(訳注 431)の生誕を描いた 金の飾りのある帯彫刻が、台石の正面に付いていた。盾の表面にも アマゾン族とアテネの人々との戦いを描いた 浅彫りの浮き彫りがあり、ゴルゴン Gorgon(訳注 432)が中央に 斧と槍とを持ち挙げた二人の勇士の像が 下部に描かれていた。フイデイアス自身とペルクレスの肖像に似せて この二人の勇士の姿を描いたことが 不敬であるとして、フイデイアスが非難を受ける原因となったという話が 伝わっている。盾の内面には ギガ−ス族と神々との戦いが、女神のサンダルには ケンタウル族との戦いが描かれていた。フイデイアスの作ったこのアテ−ナ女神の像は 武装はしているとしても、パラデイオン Palladion(訳注 433)のように攻勢的な女神像ではなくて 全く平和的なものであったことは、今残っているコピ−像を見ても判る通りである。
○ この原像は、芸術的な価値が大きかったのに加えて 材料の値段も莫大なものであったが、A D 5 世紀にキリスト教徒の手でコンスタンチノ−プル Constantinople(訳注 434)に運ばれて、そこで亡くなってしまったと言われている。後期になって作られた幾つかのコピ−像から 当時の姿を偲ぶ他ないのであって、アテネの国立美術館に展示されている ヴァルヴァケイオン Varvakeion の近くで出土したアテ−ナ女神像は ロ−マ年代に作られた二流品のコピ−像で 原作に較べて そのサイズが小さかったけれども、彫像の外観を伝えており、嘗てはこのように見えたに違いないという 幽かなアイデイアを与えて呉れている。(女神の右側のオリ−ブの木の幹は、このコピ−像では 円柱になっている。)
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