○ 神殿の<ゾフオロス>
○ ドリア式の神殿では どれでも 彫刻の装飾が付いているのが通常なのであるが、彫刻の装飾が付いている場所は メト−ペの中か 又は三角形をした破風の中だけと決まっているのが ドリア式スタイルの神殿の主な特性であった。ゾフオロスの彫刻は 元々はイオニア式のスタイルの神殿に由来するものであって、ドリア式の神殿に見られるのは 稀れなことであった。従来の因襲と手を切る勇気と才能とを持ち合わせているということが 偉大な芸術家を象徴するものであることが良くある。フイデイアスはこのパルテノン神殿の中で 好き勝手に振る舞って、これまでの因襲を 新奇なものと結び付けた。妥協して 相応しくないものを受け入れることをしないことになっているこの神殿の壁面に 生気を与えるために、イオニア式の手法を藉りた新しい要素を この神殿のドリア式の厳格さの中に混ぜ合わせた。こうした結合に要した勇気は 単に全体の総合的なコンセプトを損なうことがない許りでなく、寧しろその完成に 必要欠くべからざるものと見做されたのであった。
○ この<ゾフオロス>は 高さが 1.05 m.で 全体の長さが 160 m.に及ぶ 連続した一つの帯状彫刻であって、内陣の周りの四面の壁面 つまりケラの壁面の上部 及び両正面のプロナオスとオピストドモスのア−キトレイブの更に上を、下から 12 m.の高さの所で ぐるっと取り巻いている。浮き彫りになって描写されているこの画像のテ−マは パンアテナイア祭の行進であって、そこには 360 人の人物と 220 頭の動物とが彫り込まれていた。行進はオピストドモスの南西のコ−ナ−で始まり 此処を出発点とした行進の中心テ−マが 次々と展開して行くのにつれて、両側の反対方向に向かって進み 最後には この神殿の東正面上の中心の所で終わっていた。
○ ゾフオロスの彫刻は 随分と高い所に付いているし、周りのポルテイコは幅も狭い上に プテロンの円柱が 46 本も立っていて、仕事もやりづらかったことであろうし 第一彫刻の各部を直接見るのが極端に難かしくて 良く見えない。併しこの浮き彫りはアテ−ナ女神に献げられたものであったことから考えると、人間には良く見えようが見えなかろうが それは全く関係のないことであったのが、良く判るのである。
○ このゾフオロス全体の中で 西面の厚板と南面の数枚だけが 神殿の元の位置に残っているに過ぎないが、その西面にあるものは 殆ど完全な形のままである。背景には青の彩色が着けられ 更に浮き彫り全体が幾分前に傾いているために 人物像の下半身が小さくなっている。モロシニの爆発があった時に 多くの厚板が毀われてしまっており、毀われずに残った厚板の一部が アクロポリスの美術館に収蔵されている。厚板の内夥しい数のものを エルギン卿がひっ攫らって行って 今大英博物館に展示されている。東面にあった厚板 1 枚は ル−ブル美術館 Louvre(訳注 444)にあり、他にも厚板の断片が ウイ−ンにもある。
○ パンアテナイア祭の行進
○ この行進は アテ−ナ女神とギガ−ズ族の一人エンケラダス Enceladus(訳注 445)との争いの貌を 黄色地に青で織り込んだ新しいペプロスを、アテ−ナ女神の彫像に掛けるために アステイからアクロポリスの丘へ運び上げる宗教的な儀式であった。多くの神殿の装飾物に普通に見られるように 神々の神話とか 英雄どもの言い伝えとかから テ−マが引き出されているのではなくて、B.C.5 世紀のアテネでは 人々に良く知られていた この厳かな行進の描写の中に、デロス同盟のリ−ダ−としてのアテネの富と力とを誇示しようとした意図が 映し出されている。このゾフオロスの西側と南北側の 3 面には 行進の中の様相とか場面とか 一寸の間の出来事とかが描かれているのに対して、東側の第 4 面には 人間の眼には見えないけれども オリムポス山の神々が王座に腰掛けて行進の到着を待つという その最終場面が描写されていて、鄭重な年長の婦人たちの<エルガステイナエ>や アテ−ナ女神に仕える乙女たちの<アレポロスたち>が 女神の神聖な<ペプロス>(ベ−ル)を地位の高い神官に手渡すという この行進全体の大切なゴ−ルが そこに見られたのであった。
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