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アクロポリスの丘の上の記念建造物
 
 
 
 

○ 西側と南北両側にいる参列者たちは 未だ行進の途中であって、そこには 仔羊や牡牛(その中からエカトムと呼ばれる 100 頭の牡牛が 女神に奉献された)を曳く若者たちや トレイを運ぶ者 横笛の演奏者 壺を運搬する人々 オリ−ブの小枝を手に持つ市民の群れがあり、更にその間には 馭者の近くで行進の指図をする役人と <アポバタエ>の軽業師の一人がいて、最後は長い騎馬行進で終わっており、この騎馬行進が西側の壁面一ぱいと 南北の両壁面の最初の部分に描かれている。南西のコ−ナ−では 若者の騎馬者たちが 騎乗の準備をしているのが見掛けられ、馬勒(ばろく)を付けている若者や 馬に止め轡(くつわ)を掛けている若者や 上手に楽々と騎乗している若者の姿が見られる。このゾフオロスを構成している 多くの人物像や動物の像は、グル−プになっていたり 単独に孤立した存在であったりするが、どれもすべてが何かをし この壮大で威厳のある行進が終結を迎える東方に向かって 移動していた。

○ この浮き彫りでは 人々の関心がどれ程生き生きしたものであり、同胞市民がどれ程積極的に この行進に参加したのかが、まざまざと描き出されている。この彫刻は フイデイアスの持つ本来の着想とその計画とに従って 彫刻家である彼自身と彼の徒弟たちが作った作品であった。この厳かな行進の描写の中で 特段に独特な場面を通して そのすべてが再現されていて、フイデイアスは 細かい部分の描写を省略して形を理想化することで この行進に永遠の栄光を与えようとしている。東面にあるゼウス神、ヘラ女神及びイリス女神の像が フイデイアス自身の手になる作品であることは、議論の余地はない。パルテノン神殿のこのゾフオロスは、比類するもののない強さを持ち、彫刻としての完璧さと 美学的な美しさを持った傑作であって、太古の幾世紀にも亘って アテネの人々が自らの守護女神を称えて 繰り返し行った市の祭典と共に ほぼ毎年行って来た最も重んじられた行事であり、最も華やかで 最も厳粛な行事であるパンアテナエア祭を象徴するものであり、その典型となるものとなったのである。

○ ロ−マとアウグストス帝の神殿 ( page 37 図 01 - No.44)

○ 丸屋根の付いたイオニア柱式オ−ダ− the Ionic Order(訳注 446)の外面の所で 直径が 8.60 m.もある円形建築のロウトンダ rotunda(訳注 447)の遺跡が、パルテノン神殿の東方にあるのが見られた。ア−キトレイブの一区画上に刻まれている彫り込みに拠れば、ロ−マ皇帝を宥めるために ロ−マとオクタヴィアン・アウグストス帝とに この建物を奉献したものであることが知られる。白い大理石で出来た この小さい神殿には、 9 本のイオニア式円柱が周りを取り巻いた ペリステユレ(繞柱式列柱廊)が付いており、アウグストス帝が皇帝となった B.C.27 年より後に 造営されたものであることは、間違いない。

○ パンデイオンの社 ( page 37 図 01 - No.45)

○ エレクテウスの息子でアエゲウスの父であった 神話の上での王のパンデイオンを祭った社のあった位置は、パルテノン神殿の東に 25 m.距った場所で、アクロポリスの丘の城壁の 南東のコ−ナ−と向かい合っていた。

○ 今日では アクロポリス美術館の地下室の中に、この社の壁面の一区画が もとあった場所にあるだけに過ぎない。この社の形と輪郭とを決めているのは その壁面の土台石用に用いられている 岩山の上に付けられた鑿の跡であって、この社は基本的には 北西と南東の軸線上に開けた区画 2 つに 縦に分かれている境内から出来ていた。

○ 西側の区画には その北西の側に入口門が付いており、東側の区画には その南側の端の所に小さい入口があった。パンデイオンを祭るこの社は、B.C.5 世紀の中頃に出来たものであって、アクロポリスの丘のキモンの擁壁が構築された時より後に 建築されたものであることは 明らかである。土が詰め込まれていることとか この表面が盛り上がっていることとかから見ると、パンデイオンを祭るために作られたもっと古い社がここにあったが、割り石積みの下になって 姿を消したものであるらしい。

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