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アクロポリス美術館
 
 

◎  No.1347 大梟の像

○ キクラデス群島 Cyclades(訳注 551)産の大理石で出来ていて、高さが 0.87 m.ある 梟の大きい彫像である。B.C.5 世紀初期の 500 - 480 年頃に作られたものとされていて、ア−ケイック期の趣の強い 大層大味な作品である。この梟の大きい像は、アクロポリスの丘の プロピュライア入口門を入って直ぐ右側にあった 古代のアルテミス女神の聖域の近くで、高い台座の上に置かれていたと言われている。

○ 梟は アテ−ナ女神の知性を示す簡潔なシンボルであって、古代アテネの貨幣には、表にアテ−ナ女神の横顔が 裏には梟が刻まれている。これ程大きい梟の遺品は 他にはないが、貨幣とか 陶器絵とかに見られる幾つもの優れた梟や 梟を形どった陶器などに較べて、出来映えが余りぱっとしていないし、補修も少なくない。

◎  No.6406 大理石で作られたレキュトス Lekythos(訳注 552)の記念物

○ ブロンズの壺を真似たもので、B.C.4 世紀の作品である。

◎  No.6407 大理石で出来たレキュトスの記念物

○ <悦んで迎え入れる>というシ−ンを描いた 浮き彫りが付いていて、B.C.4 世紀末頃の作品である。

◎  No.1338 アタルボス atarbos の薄浮き彫りの付いた 大きい土台石の一区画

○ 大理石の土台石の左側に向かっていた半分で、ブロンズで出来た奉献の供え物の彫像が その上に載っていた。この土台石には  B.C. 322 年の日付けの彫り込みが付いている。踊りを浮き彫り細工にして描写した リズムに溢れた表現の装飾が付いていて、彫り込みの日付け通り B.C.4 世紀末期の 25 年間の作品であることは 間違いない。
○ 戦争の踊りピュリック・コンテストに参加して 斜めに動きながら ピュリック・ダンスを美しく踊る人々を描いている。踊り手たちは この間攻撃と防禦の局面や動作を 総べて身振りで 芝居をするのである。言い伝えでは、この踊りを最初に演じたのは アテ−ナ女神であり、その後 これを人に教えたとされている。左端には テユニックのキトンとヒマテイオンとを纏った 合唱団長が描かれ、彼の右の方には どちらも裸体の踊り手 4 人のグル−プ像が 2 組、左手に盾を持ち 拍子をとって歩いている。描写の特徴となっているのは、調和と優雅さと 人物像の動作に見られる音楽の質の良さである。恐らくこのピュリックの戦闘の物真似コンテストで コ−ラス・リ−ダ−として優勝した 或るアタルボスの献納品であろう。

◎  No.1326 大理石の土台石

○ 馭者と貢ぎ物を横に置いた献納者との 2 人が載っている 四頭立て二輪戦車を描いた 浅い浮き彫りが付いている。走りながら戦車から降りて 又戦車に載るという軽業のアポバテス apobates(訳注 553)という競技会の優勝者が 献納したものであろうと思われる。 B.C. 3 世紀の初期の作品である。

◎  No.2281 ヘルメス神の石碑の頭部像

○ フイデイアスの弟子に当たるアルカメネスが作って アクロポリスの丘の上に安置した、<プロピュライア入口門のヘルメス神の像>の摸刻像である。恐らく、B.C.1 世紀の末の作品であろうと見られる。

◎  No.2444 サイマのコ−ナ−の部分

○ 梟と蛇とオリ−ブの木を表現した浮き彫りが付いており、この 3 つは何れも アクロポリスの丘とアテ−ナ女神とに結び付いたシンボルである。後期の作品である。

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