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アクロポリス美術館
 
 

         《 第   1   室 》

○ B.C.6 世紀には アクロポリスの丘の上に ポロス石(多孔性石灰石)で出来た建物が幾つかあった。社とか宝物庫とかの建物で 大部分はサイズが小さいものであったが、B.C.480 年にペルシャ軍の侵入を受けて 毀わされてしまった。その内で最も大きかった建物は アテ−ナ女神の古い神殿で、エレクテウム神殿の前にその跡が 今でも残っているが、その他の建物は遺跡の跡もなければ、何処にあったのかさえも 正確には判っていない。併しながら 建物の破片が幾つかは残っているし、これらの建物を飾っていた 多孔性石灰石の一連の破風も残っている。これらの破風は今では この美術館の第 1 から第 3 までの部屋を飾って、展示されている。

○ 第 1 室に展示されている作品は、主として多孔性石灰石と大理石で出来た彫刻物であって、第一のパルテノン神殿といった風な ア−ケイック期に出来た神庫のような小さい神殿の破風を構成する装飾となっていたものが その大部分である。

◎  No.0001 ヒュドラを退治するヘラクレスを描いた浮き彫りの付いた破風

○ B.C.6 世紀の小さい建造物にあった 多孔性石灰石で作られた破風で、中央の高さは 77 cm.長さは 6 m.である。どの建物のものであったのかは 今では明らかでないが、B.C.590 年頃に作られた印象深い作品である。ヘラクレスの 12 の功業の中で レルネの沼沢に棲む怪物のヒュドラを退治する功業が、非常に浅い浮き彫りで描かれている。一つの物語を破風の中に 左右対称ではなく 巧みに纏めている。もとの豊かな彩色が 幾らか残っているが、馬や髯が緑で 戦車の台が赤であったりして、色付けは出鱈目である。

◎ テユポンとエキドナ Echidona(訳注 554)との子で ヘラ女神の許で育てられた 9 つの頭を持つ蛇のヒュドラが、右半分の区画一ぱいに とぐろを巻いている。ヘラクレスは中央で胸甲を付け 自分の棍棒を振り回して立ち向かっており、その左には 甥のイオラオス Iolaos(訳注 555)が 馭者のいる二輪戦車の上に立って このコンテストを見詰めている。左のコ−ナ−からは大海蟹が ヒュドラに助勢するために中央に進んでおり、戦車を曳く馬は危険を感じて 頭を低く垂れている。

◎  No.0004 仔牛を貪り喰っている牝獅子の像

○ 多孔性石灰石で出来た B.C. 6 世紀初期 600 年頃のア−ケイック期の 可成り大きい破風の右側の区画のグル−プ像で、全長は 3.17 m.あり、アテネのアクロポリスの丘では 最も古い破風の一つの 驚くべき作品である。巨大な牝獅子が 牡の仔牛を腹の下に組み敷き、臀部に爪を立てて 喰いちぎろうとしている。破風の左半分の区画は 失われてしまったけれども、同じ構図のもう一組のグル−プ像があって 厳格な左右相称であったろう。獅子の乳首や牛の口腔に 赤の彩色が良く残り、他にも青や黄の着色が見られる。破損が甚だしくて あちこち補修されているが、仔牛の頭が逆向けになっているのが注意を惹き、獅子や仔牛の筋肉の動きが 力強くて逞しい。

○ この破風は、恐らく B.C. 6 世紀の第 1 四半期に造営された エカトムペドン神殿と呼ばれている 第一のパルテノン神殿の西破風にあった グル−プ像の一部であったと見られる。力強い牛を斃すことで 一層劇的に高められた獅子の強さは、女神像を守護する番人として 誠に適切なものと考えられたのである。

◎  No.4572 多孔性石灰石の飾り板

○ ロ−タスの花の装飾が刻み込まれている。他の飾り板と一緒になって、ア−ケイック期の建造物 恐らくは仮説として伝えられている 一番古い第一のパルテノン神殿に付属する 勾配していたコルニスの一部であったものであろう。

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