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アクロポリス美術館
 
 

○ アクロポリスの丘で出土した アッテイカ地方のコレ−像が、よりしっかりと作られ 比較的硬いモデリングをしているのと比較して、この像は より柔軟で曲がりくねり、衣服や頭髪の色々な細工が より装飾的である。細かい部分の出来映えや 装飾の好みには、繊細な感覚が見られる。同時に 他のコレ−像と較べて より生き生きした表情が多く、頭髪がカ−ル状に垂れ下がって額を覆っている コレ−の幸せそうな顔の やや起伏のある穏やかなモデリングには この期の典型的なア−ケイック・スマイルの類型が示されていて、その最盛期のものであったことを 物語っている。キオス島で出来た より大きい作品の縮小コピ−像であるとする人もあるが、デルフイにあるシフノス島 Siphnos(訳注 578)の住民の神庫のカリアテイ−ド(女人像柱)や エレトリア Eretria(訳注 579)で出土し ハルキス Chalkis(訳注 580)の美術館に収蔵されている破風のグル−プ像といった 数十年前に作られた パロス島産の大理石の人物像と比較しても、同じように際立って異なった特色を示していることが 看取れるのである。アクロポリスの丘の上で出土した 有翼のニケ女神の像(収蔵品 No.0693)は、この同じ作者の手になる 第二の作品である。

◎  No.0702 ヘルメス神とグレイシス女神たちの浮き彫りの付いた 献納物

○ ヘルメス神と 3 人の婦人像とを描写した 奉献品の具え物の浮き彫りであって、この婦人たちは 手をとりあってリズムをとって ダンスを示唆するように踊りながら ヘルメス神の後に続いている。ここに描かれている婦人像に関しては グレイシス女神たちであるとか、ニムフたちであるとか、祭典に加わっている人間の女性に他ならないとか 色々な解釈がされて来ている。浅い襞の付いた下着のキトンを着て、身体は斜めを向き 足は側面を向いて、夫々手を繋いで 民族舞踊を踊っているようである。ヘルメス神は 完全に横を向いたまま、二重になったフル−トを吹いて ダンスをリ−ドしており、その後方には 子供が一人いる。この子供は エレクトニウスであって、彼を中に入れた函を開いたために 狂ってアクロポリスの丘から身を投じた アグロウラスとその姉妹の 3 人が ここに描かれている婦人たちではないかとする人もある。この子供は 小さく表現された人物像であって、この浮き彫り碑の奉献者であったのかも知れない。

○ 中央の人物の動作は 合唱のリズムと適合している。浮き彫りの背景は 青色であった。人物像には 嘗ての彩色が今も一部に 残っている。B.C.6 世紀の最後の 10 年の間に出来た 素朴な芸術的技巧を示す作品で、島の流派に属するものである。

◎ No.1342 + 1343 浅い浮き彫りの付いた フリ−ズの厚板 2 枚

○ 大理石の 大きいフリ−ズの部分であったと思われる。フリ−ズのテ−マと どの建物の装飾品であったのかについては、意見が著しく分かれている。持続的にずっと残っている意見の通り 若しこれが ア−ケイック期のアテ−ナ女神の古い神殿の壁に高く置かれた パンアテナイア祭の行進を描いたものであったとすれば、このフリ−ズは B.C. 520 年頃の作品であって、同じテ−マを描いた パルテノン神殿のフリ−ズの ア−ケイック期におけるその原型であったことになる。他方 これは B.C. 500 年頃の作品であり、神話の場面が幾つも 描かれていて、No.1342 の馭者は アポロ神か アルテミス女神であり、No.1343 の人物は ヘルメス神であって、大祭壇の何れかの一部を飾ったフリ−ズであったと信じている人もある。

○ No.1343 の厚板には、頭にペタソス petasos(訳注 581)を冠り、顔は全く横を向いて 胸がこちら向きになった男の像の 上半身が浮き彫りにされている。キトンの浅い襞が 細かい起伏になっていて、飾りを作り上げている。No.1342 の厚板には、踝まで届く長いキトンを着て その上にヒマテイオンを 肩に投げ懸けて纏った馭者が、四頭立ての二輪戦車に載ろうとしていて、両手を伸ばして 手綱と鞭とをしっかりと握っている。馬の像の内の大部分は これに接続していた次の厚板に 描かれていたものであろうが、この部分は 今は失われてしまった。キトンやヒマテイオンの襞や 馬の尾の 細かくて繊細な刻みは、B.C.6 世紀末期のアッテイカ・イオニア芸術の特徴を 良く示しているものと言える。

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