《 第 6 室 》
○ B.C.5 世紀の最初の 10 年間というのは とりも直さず ペルシャ戦役の戦われた年代であり、この年代の間にアテネの人々が新しく作り上げた 民主制度の文化は、ア−カイズムの持つ限界を超えて進み、次に続く年代のクラシカル期の精華が 花盛りとなって開くべき素地を培ったのである。この年代に当たる B.C. 450 年代の間での文化は 所謂<厳しくて 飾りのない形態 austere style>であり、構成と人体のポ−ズについて 新しい着想が見られ、ア−カイズムの特徴であった飾り立てた優雅さを 無用のものとして、棄て去っているのである。典型的なア−ケイック期の微笑に替わって、顔の表情には 今や思慮深い厳しさが見られている。
○ この美術館の第 6 室には 大理石で出来た男性像や 婦人像、更にはアクロポリスの丘の上にあった諸神殿や社に奉献された 供え物の浮き彫り碑といった 後期ア−ケイック期からこの<シビア・スタイル期>に到る年代の 素晴らしい出来映えの作品が展示されていて、これらの作品は 最も完全で且つ力強い彫刻作品を代表するものであった。
◎ No.0067 A 絵の付いたテラコッタの飾り板 ピンアックス
○ 表面全体に黄色の着色が施され、絵が画かれているという 全く珍しい飾り板である。恐らく 他の同じような断片と繋ぎ合わされて 或る種のフリ−ズのような建築材としての機能を 持っていたものであろう。ヘルメットを冠り、槍と盾とを持って武装した 重装備歩兵のホプリテの走行の貌が、写実的に描かれている。左方に向かって攻め掛かっている この裸の兵士は、身体を左の方に回して 背をこちらに向けており、脚と頭は 側面を向いている。B.C.6 世紀末頃の 古代の絵についてのアイデイアを幾らかか与えて呉れる 貴重な作品である。
○ 上方に古字体で描かれていた メガクレスの愛人 Megakles Kalos という彫り込みが消し取られて、グラウキュテス Glaukytes という名に 書き替えられている。この飾り板に描かれている人物は、B.C.486 年に貝殻追放されてアテネを去った アルクメオニダイ一門の メガクレス(訳注 600)である可能性が、極めて高い。追放されたこの時に 彼の名が消し取られて、他の人物の名に書き替えられたものであるに違いない。恐らくこの飾り板は、壺絵師エウテユミデス Euthymides(訳注 601)が B.C. 510 - 500 年に制作した作品であろうと思われる。
◎ No.1332 床几に腰掛けた 髯のある陶工を描いた 浮き彫り
○ ペンテリコス山産の大理石で出来た浮き彫りで、デイプロスと呼ばれる 肘掛け椅子に座った 陶工を描いたものであって、自らの最初の作品を 女神に奉献したものである。男は 左手の小さい指から キュリックス kylix(訳注 602)をぶら下げ、右手は拳に 握り込んでいる。嘗ては 左の空白の余地にも 或る像が描かれていた。浮き彫りの背景は 青色で、枠縁は赤である。B.C.510 年頃の作品で、頭髪と髯の配列は ア−ケイック期のものである。
◎ No.0688 <プロピュライア入口門のコレ−>の像と呼ばれている。
○ コレ−の像としては 最も後期のもので、プロピュライア入口門の近くで出土したことから この名が付けられた。<オ−ステア・スタイル>の年代の真髄が 作品全体に漲っている。襞は全く簡潔であり、着衣で身体全体をすっぽりと包んでいて、その大部分の柔軟さを 隠してしまっている。低い髪型と 平たくて力強い顎との間に挾まれて、頬は殆ど垂直になり、顔の輪郭も消えて 四角くなってしまっている。B.C.480 年頃の アッテイカ地方の作品である。
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