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アクロポリス美術館
 
 

◎  No.0698 クリテイオス・ボ−イ Kritios Boy と呼ばれる 若者の裸体の立像

○ パロス島産の大理石で出来ていて、像の高さは 86 cm.である。この立像は ペルシャ軍が B.C. 480 年に破壊した 地層の中から出土したことから見て、B.C.485 年の直前、つまり サラミスの海戦の少し以前に制作された作品であって、このように非常に短期間しか アテネの砦の上に立っていなかったことになる。クリテイオスが ネシオテスと共同して作り、B.C.477 年に アテネのアゴラの中に立てた 2 つ目の暴君殺害者たちのブロンズのグル−プ像の内、ロ−マ時代のコピ−像が残っているハルモデイオスの像に スタイルが似通っているために、出土した当初に <クリテイオス・ボ−イ>の名で呼ばれるようになった。この像が正しく 有名な彫刻家のクリテイオスの作業場で出来たものであるかどうかは 疑問が残り、議論の余地のある所であるが、何れにしても アッテイカ地方の指導的立場にあった 巨匠の一人の手で作られたものであり、<シビア・スタイル期>の初期に作られた 美しくて貴重な傑作である。アクロポリスの丘の上から  1865 年に 手足のないトルソ像が出土し、違った場所のパルテノン神殿の南東で  1888 年に 頭部が出土した。

○ 静かに落ち着いて 立っているこの若者は、アテ−ナ女神の最大の祭典であった パンアテナエア祭の勝利者であろう。身体の重心は 真っ直ぐに伸ばした左足に懸かっていて、その軸線の上で 身体が僅かに回っており、右脚は膝の所で曲げ、右腿を前に突き出し、脛を少し許り横の 後ろの方に据えていて、そのため左の尻が 右より僅かに高く持ち上がっている。上膊部は両腕とも 後方に引いているが、左上膊は 右より幾分後ろ目である。前膊部は 両腕とも肘の所で 幾分持ち上げられている。頭をやや右方に回し、眼には嘗て 色の付いたものが嵌め込まれていたが、前方を自信あり気に 見詰めている。頭髪は 頭のてっぺんから 美しい波状に流れ、飾り輪を覆って、花飾りのように頭の周りを取り巻いて 巻き上げられている。襟首の上の産毛(うぶげ)は カ−ルが一つ置きになった形になり、小房が真っ直ぐな形で 配列されている。

○ この像は 一人の運動競技者の姿を描いたものであって、若々しい男性の完璧な姿を 出来るだけ最良の形で 表現しようとしたものである可能性が、極めて高い。従って同時代に作られた 収蔵品 No.0689 の<ブロンド・ボ−イ(金髪の若者)像>に強く見られる 悧口な用心深さとか 霊性とかは、この若者像には見られない。若者の顔の表情の特徴となっているのは、綿密で巧妙な技巧であり、素晴らしく柔軟な快活さが その身体全体の到る所に拡がっている。併し 比較的初期に出来た若者像である アテネ国立美術館所蔵のアナヴィソス Anavysus の像と比較すると、新しい要素が この<シビア・スタイル期>の期間を通して 彫刻の中に充ち溢れて来ていることが、完璧な許りはっきりと 看取れる。重心の懸かっている脚と 懸っていない脚との間に 差別が付けられ、この動きが 身体のそれ以外の部分にも移って行って、相互に釣り合いを保った形で示された両側面や、腕や肩や頭の動きも 総べて一緒になって、有機的な新しい関連で 繋がっているように見える。容貌が非常に繊細で、身体や腿には 素晴らしい柔軟さが見られ、生き生きとしていて、恰かも中央にある核から指示を受け、中心にある核に 凝集してゆくかの如く 自信たっぷりに突っ立っており、周りの空間の中に 入り込み始めている。

○ 身体全体のウエイトの新しい配分を示した 素晴らしい手本であり、アテネの国立美術館の収蔵品 No.3344 のスニウム岬の勝利の若者の浮き彫り碑と共に、この<シビア・スタイル期>のアッテイカ地方の彫刻を代表する作品であり、アイケイック・スタイルから 完全にバランスの採れたクラシカル・スタイルの像に進んで行くのを そっと告げる先触れになっているという点で、この像は とりわけ重要な意味を持っているのである。後方から見た像の眺めにも、特筆に値いするものがある。

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