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アクロポリス美術館
 
 

◎  No.0695 <瞑想しているアテ−ナ女神>の浮き彫り碑

○ パロス島産か ペンテリコス山産の 白い大理石で出来ていて、高さが 54 cm.の 献納の浮き彫り碑である。B.C.460 年頃に作られた作品であって、この美術館の収蔵品 No.0698 のクリテイオスの若者像とか、アテネの国立美術館に所蔵される 収蔵品 No.3344 のスニウム岬の勝利者の碑とかと並んで、この<シビア・スタイル期>に属するアッテイカ地方の彫刻を代表する 最も立派な作品の一つである。キモンが指揮して アクロポリスの丘の南側に 大きい城壁を構築し、この丘の城塞化が完成したのは、丁度この時期のことであった。工匠たちがこの城塞化の完成を記念して この浮き彫り碑を作り、砦の女神に奉献する供え物としたのかも知れないと 解釈されて来た。出来の良い 小さなこの浮き彫り碑は、アクロポリスの丘の上の パルテノン神殿の南側で、神殿のテラスに接続していた ポロス石(多孔性石灰石)の壁面の中から  1888 年に出土した。出来上がった後 幾年も経たない内に 地下に埋められてしまったもののようである。

○ アテ−ナ女神は 若々しくて女らしい格好をしており、頭を横に向け 身体をやや前に傾け、上下が逆さまになった槍を 左腕で抱えて、瞑想する姿勢で この槍に凭り懸かっており、どちらかと言えば 若い人間の女性のように見える。身体の重心は 右脚と左手で持った槍とに懸かっている。斜交(はすか)いに立てた 槍の先端を握って この支えに凭り懸かり、左足は全く重心を懸けずに 後方に引き、足指の付け根と爪先だけを 地面に着けていて、両足共 素足のまま横向きになって見えている。右手は 指を全部伸ばして、腰に当てている。右側面開きの 簡易な所謂<アッテイカ地方のペプロス>を平易に着ていて、留め金 2 つで 両肩の上に一緒に留められ、折り返し部分の一番上の所で ベルトで締めている。胸部は小さい蕾のような形をして 殆ど正面を向いており、ペプロスは胸の形を そのまま見せているが、身体の下の部分では 平行した長い襞になって 下半身を覆い隠し、細長い矩形を作り出している。女神は 盾の武装もせず、ゴルゴンも付けないで、槍の他には 二重の前立ての付いたコリント式のヘルメットを冠っているだけであるが、このヘルメットは女神のシンボルであって、この像が女神そのものを描いたものであるという 身元を示す証しとなっている。ヘルメットの下から 細い波形の頭髪が覗いている。美しい顔は 高浮き彫りになった 均斉の採れた横顔で描かれ、両頬は大きくて 丸々としており、丸まった顎も 重量感があって、生真面目で 思慮深い表情を帯びている。女神は想いに耽り 或るいは自分の前に立った石碑の上の彫り込みを読んで、瞑想に心を奪われているかのように見える。

○ 憂欝とか 悲嘆といった表情と見做すことは出来ないとしても、この表情は 人物像の採っているポ−ズと相俟って、この像が <悲嘆に暮れるアテ−ナ女神>とか、英語では< mourning(嘆き悲しむ)アテ−ナ女神>とかと呼ばれたり、又女神が じっと墓石を見詰めているという 推測を生む原因となった。女神が一体何を考えているのか、女神が心を奪われているのが 何に因るのか、又 女神の前にあって 女神が頭を下げてじっと凝視しているこの長方形の石柱に 一体どんな象徴的な意味が示されているのか、といったことについては、多くの解釈が発表され 多くの説明が述べられて来ているが、未だはっきりしていない。アテ−ナ女神が 境界石の傍らに立って 見張りを続けているとか、規則の番人としての資格で その上に布告を記した 石碑の傍らに立っているとか、女神の前にあるこの石は 着色の文字で、女神の祭域の財産がその上に表示されていた 柱であるとかいった示唆もあるが、どれも大して満足のいくものではない。最近の調査では、この柱は競技場の中で 競走競技のスタ−トとゴ−ルの地点を示すために この当時慣例として付けられていた印しであり、この浮き彫り碑は 勝利を得た競技者の 女神への奉献物であったとも説明されている。作者が 芸術的な感受性を込めて 女神像を彫刻し、この最愛の女神の姿を 一段と近付き易い 人間らしいものにしようとする意図を持っていたことは 非常にはっきりしていて、この浮き彫り像に 明白に看て取れるのである。

○ この浮き彫り碑が出土した頃には、上の方の平縁の上には 着色した装飾のあった痕跡が 未だ残っており、背景の上にも、青の色彩の痕跡が残っていた。

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