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アクロポリス美術館
 
 

 ◎ エレクテウム神殿のゾフオロス

○ 部屋を斜めに走っている 十字の壁には、エレクテウム神殿のゾフオロスの部分像が 建物の上に嘗てあった通り 並べられている。2 つのフリ−ズに分かれていて、その 1 つは 神殿の建物の 4 面の壁を回っていたものであり、もう 1 つは 北面のポルテイコの 3 面を飾っていたものである。このフリ−ズが出来たのは、パルテノン神殿のものより 後の年代で、B.C.409 - 405 年頃のことであったろう。ペンデリコス山産の大理石で出来た 殆ど丸彫りに近い像が、エレウシス地方産の濃紺か 又は濃い灰色の大理石の背景に 金属製の楔(くさび)でくっ付けられている点が、一番はっきりした新機軸である。白い大理石像を 暗い背景にくっ付けて、全般的な効果を創り出していることが面白い。この美術館では、古代の石切り場から 同種の大理石を持って来て 新しい背景を作り、古代の作者と同じ注意を払って くっ付けてあるのである。パルテノン神殿のゾフオロスのように 単一の神話のテ−マを描いたものでないことは 確からしいが、何を表わしたものであるのかは、誰にも 正確には判っていない。アッテイカ地方の神話とか 死んでんの典礼式から採ったシ−ンが 描かれていたらしい( page 111 参照)。東正面にあったのは アテネの人々がパンアテナイア祭の競技における戦車競走の創始者と考えている エリクトニオスの生誕であり、南側のものは 彼の栄誉を称えて行われた 戦車競走といった場面であったのかも知れない。北面ポルテイコの東側では 夫のクストス及び息子のイオンと一緒に デルフイにいたクレウサが見られた筈らしい。彫刻の線は上品で、動きは美しく、着衣の襞は優雅であって、フイデイアスの弟子の手になるものとする意見もある。

      ◎ アテ−ナ・ニケ女神の神殿を取り巻く 胸壁のフリ−ズ

○ プロピュライア入口門の直ぐ外側には、3 面が垂直に切り立った 高い砦の岩が露出しており、ニケ・ピュルゴスと呼ばれるこの高台の上に、翼のない勝利の女神の 小さい神殿が建っていた。この神殿は、高台の平面の大部分を占めていて、特に西側では 高台のぎりぎりの端の所まで 拡がっており、通路が狭くて、混み合うと 下に落ちる人の出る危険があった。そこで参詣者の安全のために 高台のテラスの端に ペンテリコス山産の大理石の厚板の胸壁が作られたが、この胸壁は、内側は平らで すべすべしており、外側には 浮き彫りが付いていた。胸壁は 南面と西面と 北面の崖の縁の真上に建てられており、北東部では、この砦への昇り口から 神殿の北東隅に到る階段沿いに 第 4 の短い側面の胸壁が走っていた。浮き彫りの付いた厚板の内 その凡そ 1/3 は 欠片(かけら)の形で現存していて、これらの欠片は アクロポリスの丘の上や その南斜面で、 1835 年以降 間歇的に出土して来た。

○ 胸壁に描かれた浮き彫りのテ−マは 勝利の祭典であって、翼を付けたニケ女神が 北面と南面から アテ−ナ女神が腰掛けて 行進の到着を待ち受けている西面の中央に向かって 行進する形で移動している。北と南の両面の西の隅にも 更に腰掛けたアテ−ナ女神の姿が描かれ、その胴体と片腕とを捩じることで 東から近付いて来ているニケ女神たちの動きを繋いで、西面の方に向かって 行進を誘導していた。東の短い第 4 の側面では、コ−ナ−から祭壇の方に向かって 階段の各段を昇るのにつれて、人物像が動いて行き、誘導するニケ女神の像が 階段を昇ってゆくにつれて 何度も出て来て、参詣者と一緒に 神殿の方に昇って行くように思えるのである。

○ パルテノン神殿のフリ−ズと比較すると、このフリ−ズでは 人物像が背景から一段と際立って 切り離されており、身体と着衣とが 一段と大きい独立性を獲ち得ていて、その彫刻の扱いの中でも お互い別々に 一段とはっきり区別されている。夫々の人物像は、一つの像が他の像と重なり合うことなく 深みの効果を生み出しており、その物腰には 素晴らしい美しさと 完璧な均衡とがあって、途切れることのないリズムで 一つの像から次の像へと流れている。着衣が ふんだんに揺れ動いて、素晴らしく装飾的である。その動作は 着衣の豊かな襞と相俟って、見る者を娯しませて呉れる。全体の効果は、恰かも 勝利の女神を称える唄を聴いているかの如くである。この浮き彫りのデザインは アッテイカ地方の巨匠が作ったもので、フイデイアスの弟子のアゴラクリトスの手になるものとする人もあるが、恐らくその制作は、6 人の別々の彫刻家の手で行われたものであろう( page 080 参照)。

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