ttl120
 
navi
 
sitemap
図版ページ
 
アクロポリス美術館
 
 

(訳注 549) パライストラ palaistra
古代の建築で 学校として用いられたものの呼び名である。ギムナジウム gymnasium(訳注 330)と同義である。本来は レスリングの訓練などの体育施設で、柱廊に囲まれた運動場と その周囲に浴場や更衣室、談話室等を備え、運動の合間には 修辞法や哲学の談義が交わされる習慣があり、次第に学校的な性格を強めていった。

(訳注 550) リュシッポス Lysippos
シキュオン Sicyon 生まれの B.C. 4 世紀後半のギリシャの彫刻家で、ブロンズ彫刻に長じ、多作で有名である。アレクサンダ−大王の宮廷作家として活躍。初めて肖像を作って 写実主義への道を開き、クラシカルからヘレニズムへの橋渡しを果たした。

(訳注 551) キクラデス群島 Cycladespage 41 図 04 参照)
エ−ゲ海南部のギリシャ領の諸島で 大小 211 の島から成り、その最大の島は ナクソス島 Naxos である。元々は古代ギリシャの宗教の一中心の デロス島を囲む島々の意味であった。B.C. 1000 年頃に ギリシャ人が先住民を破って定着した。

(訳注 552) レキュトス lekythospage 44 - 45 挿絵 01 - 02 参照)
もともと首が長くて カ−ブした把手の付いた 土器の容器で、白の生地に 彩色の絵が付き、死者の身体に塗る油を入れて 塗油後 死者と共に墓に埋めるか 墓の上に建てた。後に これをコピ−した大理石の大きいものに 浮き彫り装飾をして、墓の上に立てる習慣が生まれた。

(訳注 553) アポバテス apobates
大パンアテナイア祭で 騎馬競走や戦車競走と並んで 最初に行われるコンテストで、走る戦車から降り 走って又その戦車に載るという競技を言う。

(訳注 554) エキドナ Echidona
上半身は女、下半身は蛇の怪物で キリキア Kilikia に棲み、ペロポネソス半島で家畜を掠めている時に、百眼の怪物のアルゴス Argos に退治された。ゲリュオンの怪犬オルロトス Orthoros、地獄の番犬ケルベロス Kerbelos、レルネ湖の水蛇ヒュドラ Hydra、キマイラ Chimaira など多くの怪物の母となった。

(訳注 555) イオラオス Iolaos
ヘラクレスの異父弟イピクレス Iphikles とアウトメドウサ Automedusa との子で、伯父ヘラクレスの戦車の馭者として その数々の功業や遠征に常に従って これを助けた。ヘラクレスの多くの子とアテネ人を連れて サルデイニア島 Sardinia に移住し、多くの都市を築いて ここで死んだとされる。

(訳注 556) ネレウス Nereus
ポントス Pontos とガイアとの子。海の老人と呼ばれた海神で 賢明穏和であり、予言の力があった。オケアノス Okeanos の娘ドリス Doris を妻とし 50 人のネレイス達の父となって エ−ゲ海底に棲んだ。船乗りの保護者で姿を自由に変える力があった。

(訳注 557) ゲリュオン Geryon
クリュサオ−ル Chrysaor とカリロエ Kallirrhoe との子で 3 頭 3 身の怪物である。オケアノスの流れに近い エリュテイアの島 Erytheia に棲み、多くの牛を所有していた。ヘラクレスが番犬オルトロスと牛飼いのエウリュテイオン Eurytion を殺して 牛を奪ったのを追って、アンテムス河 Anthemus 畔で射殺された。

(訳注 558) デイ−ム deme
古代アッテイカ地方の市区で、B.C.508 年頃に クレイステネスが 100 の行政区に分けた。 demos(訳注 507)と同義である。

(訳注 559) ヘラクレス Heracles の神格化
ヘラクレスの妻のデイアネイラ Dianeira が オイカリア Oichalia の王女のイオレ Iole に夫の愛情が移るのを恐れ、儀式の下着に媚薬を塗り、ヘラクレスは皮膚が腐蝕して 焚死した。息子の振舞いを喜んだゼウス神は 馬車に載せて天上に運び、和解したヘラ女神から生まれる真似の 再生の儀式を経て 女神の子となった。

( 237 )

 
    next
space各ページへのダイレクト・リンク